全国全土をことごとく荒地となさん。
栗原安秀歩兵中尉
統一教会にべったり世話になっておきながら
いまになって
関係がなかったと言い逃れしたり
知らなかったと言ったり
ちょっと選挙協力してもらっただけ
と言ったり
そんなことでは
カルトのほうが黙っているわけがないだろう
あいつ
殺されるかもな
という
政治家が
何人も
目につく
カルトと
非宗教的であるべき政治の
板挟みになって
あいつ
自殺するかもな
という
政治家も
何人も
目につく
殺されるべきだろう
自殺するべきだろう
幕末以来の
根本からのイデオロギーの変革期に
すでに入っている
そうわからない者は
もう
人間とはいえない
天誅も
自決も
たくさん出てくるべき
時節に
すでに入っている
天下太平の世は
終わった
太平の眠りを覚ますニ筒銃たった二発で夜も眠れず
桜田門外の変
に
比較などしては
幕末の知識人
井伊直弼さんが泣くだろうが
現代の水戸藩が騒ぎ出し
むこうはむこうで
新撰組も出てくるだろう時節に
すでに
入っている
暴力はいけない
とか
下らないことは言いっこなしだ
会津藩などに対して行なった虐殺の上に成る近代日本が
言えた義理ではない
武家だったわたしの母方の家は
勝海舟の同僚だったが
大政奉還ですべてを失って商人になった
やはり武士だった父方は
鎌倉時代に京都から真言宗の僧を守護して
関東に下り
そのまま城下町に住み続け
今でも鎌倉時代からの墓所が残っている
フランスに残る王家の子孫は
フランス革命以降の歴史を一切認めていない
ルイ十六世の死で時間は停止し
現代までのすべては
ただ
無かった
と見なしている
わたしの家系でも
明治時代以降の時間は停止したまま
と
見なしてもいいだろう
日本人は卑劣で女々しい順応主義者が多いから
すぐに何でも受け入れて
仕方がなかった
仕方がなかった
と次の風潮に隷属していきがちだが
金まみれの下品で虚栄一方のエセ宗教に支配され切った
近現代ニッポンは
たしかに
まったく存在などしていなかった
ただ
無かった
と
いま歴然としてきている
ここで
峻厳な処罰や処刑を行なわなかったら
ニッポンの国体は
本当になかったことになるぞ
そうだ
近代ニッポンでも
真剣に政治を考えたひとがいた
226事件で処刑された
青年将校
栗原安秀歩兵中尉の
すばらしく怨念に満ちた遺書を
見直しておこう
『昭和11年(1936)初夏の候、
我らその死につくや従容たるものあり。世人或いはこれを目して、
余は万斛(ばんこく)の怨みを呑み怒りを含んで斃れたり。
あぁ、天は何故にかくも、正義の士を殺さんとするや。
我ら青年将校を羅列し来たり、これを裁くや我々に、
公判に至りては、僅か一ケ月にて終わり、その断ずるや酷なり。
政策的な判決たる、真に瞭然たるものあり。
我らの一挙たる、明らかに時勢進展の枢軸となり、
あぁ、なんぞその横暴なる、我ら、いたずらに血笑するのみ。
余は血笑せり。同士よ、他日、これが報いをなせ。
余は瞑せざるなり。余は成仏せざるなり。同士よ、
彼らは賊なり、乱子なり。なんぞ愛燐を加うるの要あらんや。
同士暇あらば、我らの死所に来たれ。冥々たる怨気充満あるべし。
あぁ、我ら国家の非常の時を座視するに忍びず、
なんぞ安心立命するあたわんや。
見よ彼ら腐敗者ども、依然として滅びずんば、余、
あぁ、我らの叫号を聞け、汝ら腐敗者どもの皮肉に食い込むべし。
汝らの血液を凝固せしむべし。
同士よ、我らは地下にありてなお、苦悶し、地上にありてなお、
我らの吐きし血をもって、彼らの墓標となさん。
見よ暗黒の夜、青白の光を放てるは、吾人の怨霊なり。
7月11日
栗原安秀 』
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