深夜
アスファルトの舗装道路を
すこしずつ進みながら
金属管の先を道につけて
埋めてある水道管が破損していないか
聞き取る仕事をする人が
映画「伽椰子のために」(小栗康平、1984)
に出てくる
破損していれば
水流に砂利が混じる
その音を聞き取るのだという
主人公ふたりも
道路にじかに耳を押し当てて
道の中の音を
聞き取ろうとしてみる
この映画には
美しい決定的なショットが溢れているが
道路の音を聴く場面も
豊かな意味に溢れ
得がたいシークエンスを構成している
まるで
ひとの生そのものの
比喩のようではないか
などと
知ったふうな纏めかたは
しない
さいわい
評論家でもなければ
Twitter一言居士でも
ないので
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