2023年1月10日火曜日

座っているおじいちゃんの膝に乗っかりにいって

 

 

 

父方のおじいちゃんは

口が臭かった

 

煙草を吸う人特有の臭いだった

ヤニ臭い

というやつだった

 

横にいたりしても

それが臭ってくることはなかった

おじいちゃんの膝に座って

顔を近づけてみると臭ってくる

 

まだ二三歳のぼくは

おじいちゃんの家に行くと

よく

座っているおじいちゃんの膝に乗っかりにいって

顔をちかくに寄せて

おじいちゃん

口臭い

などと言っていた

 

思い出の中では

おじいちゃんは丸刈りで

いつもブスッとしている感じがあって

ユーモアのかけらもない人のような

そんな印象がある

 

しかし

間違っているのだ

この印象

 

おじいちゃんの口の

ヤニ臭さを

たびたびぼくが嗅いでいたということは

おじいちゃんがぼくを

たびたび膝に乗せてくれていたということで

そのたび

口を開けてしゃべったり

笑ったりしていたからこその

ヤニ臭さだったわけで

いつもブスッとしているとか

ユーモアのかけらもないとか

そういう印象は

どこかで

間違ってこしらえられて

おじいちゃんの記憶の簡易ラベルとして

ぼくのなかに定着してしまったもの

 

思い出というものは

ほんとうに

危ない

 

分離したり

重ねあわせたり

照らしあわせたりし直してみないと

いつまでも

大事なところを

誤解し続けたまま

 

記憶という

ごたごたした無限の映像や感覚の集積

うっかりすると

全体の印象の把握も

要所要所の意味あいも

いつまでも

誤解し続けたまま

じぶんの人生は

こんなだった

あんなだった

思い込んで

済ましていって

しまいそう





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