人生という名の生きそこない
ジル・ドゥルーズ
爪が伸びてくると
ある時点で
切らないといけないと思う
けれども
なんとなく切らないでいてしまうと
もう少し
伸ばしておいてもいいかな
と思ったりもする
伸びてきた爪を見ると
いつも
哲学者のジル・ドゥルーズを思い出す
ドゥルーズは手指の爪を長く伸ばしていたそうで
爪が指の腹のほうへ丸まっていたという
本当かどうか
見たことがないから知らないが
フランスの哲学者なのに
ネイティヴ・アメリカンのような雰囲気のあった人だし
彼の思想の根源にも
ネイティブ・アメリカン的なものがあったと感じられるので
外貌にそんな特徴が顕われても
おかしくはないように感じる
ぼくの1980年代前半は
ドゥルーズとル・クレジオの読書に終始した
暗記するように読んだフランス語は
このふたりのフランス文だと言える
もちろん
ドゥルーズはいくら読んでも
わかったとは言えない
だいたいぼくが読んでいたのは
『リゾーム』の部分以外は『ミル・プラトー』の翻訳も出ておらず
『アンチ・オイディプス』の訳もなかった頃だった
原文のフランス語は構文的には難しくはないが
使われている単語はちゃんと理解するには難しい
20代の頃は特にヒューム論はわからず
仕事への行き帰りの井の頭線や
山の手線などの中で
フランス語のヒューム論をちょっと読んでは
頭の中で概念図を作って
理解しようと試みた
だいぶ経ってからは
むしろヒューム論のほうがはるかにわかりやすく
それまでわかったつもりだったニーチェ論や
スピノザ論などのほうが
じつははるかに難解だったとわかったが
こういうところが
読書の恐いところであるし
面白いところでもある
いずれにしても
わかったふりをすぐにしたがる
若いうちの気分というのは
本当に恐ろしい
後年になって若い人たちのなかに
こういう知ったかぶりや
わかったふりしたがりをたくさん見るにつけて
じぶんの20代頃の恥ずかしいさまを
よく思うようになった
いっしょに住んでいたエレーヌの友人で
文楽が好きで日本に来ていたステラは
ドゥルーズの講義に出ていたことがあった
どうしてだかわからないが
ドゥルーズほど冷酷な人間はいない
とたびたび言っていた
映像に残されたドゥルーズの授業や
しゃべりぐあいなどから見て
そんなことがあるないと思ったが
なぜかステラとっては
この世でもっとも冷たい男
ということになっていた
教師たるものが学生と対する際
いかに難しいかを物語っている例だと
見ておくべきであろう
ステラは遅い結婚をして
南仏のトゥーロンに住むことになった
数回会いに出かけたことがある
夫はフランス海軍の秘密任務に就いていて
専門は原子力潜水艦や魚雷だったが
もちろん仕事のことはしゃべってくれない
ステラが作る料理にやけに厳しい人で
ぼくらが食べてふつうにおいしいものに
細かくいろいろとケチをつけた
ステラは料理が下手だから云々と
たびたび聞かされたが
これでは先々楽ではないだろうと
エレーヌとぼくは少し心配した
女の子が生まれていて
マリというシンプルな名だったが
目がくりくりと大きくて
天使が本当に現われたような
かわいい女の子だった
フランス人の子どもの中でも
とびっきりのかわいらしさだったので
トゥーロンといえばすぐに
マリの顔が二重写しに浮かぶ
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