2023年5月26日金曜日

トゥーロンのマリ


 

    人生という名の生きそこない

 ジル・ドゥルーズ

 

 

 

 

爪が伸びてくると

ある時点で

切らないといけないと思う

けれども

なんとなく切らないでいてしまうと

もう少し

伸ばしておいてもいいかな

と思ったりもする

 

伸びてきた爪を見ると

いつも

哲学者のジル・ドゥルーズを思い出す

ドゥルーズは手指の爪を長く伸ばしていたそうで

爪が指の腹のほうへ丸まっていたという

 

本当かどうか

見たことがないから知らないが

フランスの哲学者なのに

ネイティヴ・アメリカンのような雰囲気のあった人だし

彼の思想の根源にも

ネイティブ・アメリカン的なものがあったと感じられるので

外貌にそんな特徴が顕われても

おかしくはないように感じる

 

ぼくの1980年代前半は

ドゥルーズとル・クレジオの読書に終始した

暗記するように読んだフランス語は

このふたりのフランス文だと言える

 

もちろん

ドゥルーズはいくら読んでも

わかったとは言えない

だいたいぼくが読んでいたのは

『リゾーム』の部分以外は『ミル・プラトー』の翻訳も出ておらず

『アンチ・オイディプス』の訳もなかった頃だった

原文のフランス語は構文的には難しくはないが

使われている単語はちゃんと理解するには難しい

20代の頃は特にヒューム論はわからず

仕事への行き帰りの井の頭線や

山の手線などの中で

フランス語のヒューム論をちょっと読んでは

頭の中で概念図を作って

理解しようと試みた

 

だいぶ経ってからは

むしろヒューム論のほうがはるかにわかりやすく

それまでわかったつもりだったニーチェ論や

スピノザ論などのほうが

じつははるかに難解だったとわかったが

こういうところが

読書の恐いところであるし

面白いところでもある

 

いずれにしても

わかったふりをすぐにしたがる

若いうちの気分というのは

本当に恐ろしい

後年になって若い人たちのなかに

こういう知ったかぶりや

わかったふりしたがりをたくさん見るにつけて

じぶんの20代頃の恥ずかしいさまを

よく思うようになった

 

いっしょに住んでいたエレーヌの友人で

文楽が好きで日本に来ていたステラは

ドゥルーズの講義に出ていたことがあった

どうしてだかわからないが

ドゥルーズほど冷酷な人間はいない

とたびたび言っていた

映像に残されたドゥルーズの授業や

しゃべりぐあいなどから見て

そんなことがあるないと思ったが

なぜかステラとっては

この世でもっとも冷たい男

ということになっていた

教師たるものが学生と対する際

いかに難しいかを物語っている例だと

見ておくべきであろう

 

ステラは遅い結婚をして

南仏のトゥーロンに住むことになった

数回会いに出かけたことがある

夫はフランス海軍の秘密任務に就いていて

専門は原子力潜水艦や魚雷だったが

もちろん仕事のことはしゃべってくれない

ステラが作る料理にやけに厳しい人で

ぼくらが食べてふつうにおいしいものに

細かくいろいろとケチをつけた

ステラは料理が下手だから云々と

たびたび聞かされたが

これでは先々楽ではないだろうと

エレーヌとぼくは少し心配した

 

女の子が生まれていて

マリというシンプルな名だったが

目がくりくりと大きくて

天使が本当に現われたような

かわいい女の子だった

フランス人の子どもの中でも

とびっきりのかわいらしさだったので

トゥーロンといえばすぐに

マリの顔が二重写しに浮かぶ

 

 



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