マイスター・エックハルトの説教集や論述集は
エレーヌ・グルナックがずいぶん買い集めていて
彼女の死後は自動的にわたしの所有となった
多くはフランス語訳やフランス語の解説だが
中には古いドイツ語の原典テキストもあって
これはわたしには今のところ読みようもない
外出する時には小さめの本を持って出るので
エックハルトを持って出る時にも小型本を持つ
外ではながく読む時間は一度には取れないので
しかたなく前に読んだ内容を思い出しながら
数行ずつ少しずつ読んでいくことになるが
それでも外の周囲の光景が一変する気になる
わたしはどの宗派のキリスト教徒でもないが
エックハルトが聖書から章句を引用したり
イエスや神や霊や魂を語る時というのは
神霊の事情を知悉した人が
ヨーロッパ世界に広く伝播したイメージを
比喩として用いて説明しているので
エックハルトの教えの本質を読むのには
いかなる問題も生じない
エックハルトが異端宣告をされたのも
なるほど故なしとはしないと思われる
というのも彼はキリスト教よりも上位の
神霊界そのものの使者として語っているから
たとえば説教2では彼はこのように言う
「魂のうちには
時間にも肉にも触れることのない
ひとつの力がある」
「そのひとつの力とは
精神から流れ出て
精神のうちにとどまり
どこまでも精神の領域にあるものである」
「この力において
神はみずからの内にあるように
すべての喜びとすべての誉れとをもって
青々と繁り
美しく花開くのである
ここには
だれも言葉にして言い表しえないほどの喜び
はかり知れないほどの大きな喜びがある
なぜならば
永遠なる父が
その永遠なる子を絶えまなく生みつづけるのは
この力によるからであり
この力が父の唯一なる力のもとで
父の子を父と共に生み
自分自身をその同じ子として
父と共に生むのである」*
「魂のうちに」ある
「時間にも肉にも触れることのないひとつの力」
を認識できず
その側に立たない者たちによって
地上はたえず混乱させられているのだが
「時間にも肉にも触れることのないひとつの力」以外は
すべてつかの間の泡沫に過ぎないので
あらゆる混乱は虚妄である
だから
真相を認識する者たちは
「精神のうちにとどまり
どこまでも精神の領域に」あればよい
「時間にも肉にも触れることのないひとつの力」の側に
つねにあれ!
これだけで
地上のあらゆる問題は
終わってしまう
時間や肉に触れるものは
例外なく
ひとつ残らず
虚妄だからである
こうした確認を
数行ずつ
小刻みにし直し続けながら
わたしは
エレベーターに待たされるのを楽しみ
駅のホームに列車が滑り込んでくるまでの時間を楽しみ
列車の中という恵まれた読書室を楽しむ
そうして
毎瞬間
鮮やかに
訪れを
感じるのだ
「見よ
あなたの王が
あなたのところに
来る」**
ザカリヤ書が言うように
*田島照久訳(岩波文庫『エックハルト説教集』)による
**ザカリヤ書9-9
0 件のコメント:
コメントを投稿