あらゆる革命は、最初、人民の不平として、
不正な事態に対する告発としてあらわれる。
そして、この不正な事態の苦痛を真っ先に感ずるのは、
もっとも貧しい人々なのである。
肉体的または精神的に苦痛を与えるものに対してでなければ
反抗しない、というのが大衆の本性である。*
ピエール・ジョゼフ・プルードン
常磐線に乗る用事があり
用事が終わって
乗って帰って来ようという時
亀有で人身事故があったとのことで
松戸止まりになってしまった
どうせなら松戸で
カレーかなにか食べて時間を潰そうかと思い
アトレに入るのもつまらないから
ほっつき歩いてみようと
東口に出てみたら
れいわ新撰組の山本太郎が
演説をしていた
国会答弁で頑張っているのは
YouTubeなどでよく見ている
以前にもなんどか
選挙演説を聞いたことがあったが
ひさしぶりに本人の話を聞いた
それにしても元気な人だ
あいかわらず滑舌よく
見事なしゃべりで飽きない
言っている内容もごもっともだ
消費税は廃止
インボイス廃止
ガソリン税ゼロ
教育費無償
社会保険料減免
などの緊急政策を掲げていて
どれも今やるべきこととして正しい
結局一時間半ほど
立ったままで聞いてしまった
途中でカレー屋を探しに抜け出したかったが
後ろには他の人の壁ができてしまって
なんとなく抜け出しづらくなったし
「前へ詰めてください」と促されるので
だんだんと前に進むうちに
山本太郎のすぐ目の前に来てしまった
どれも絶賛賛成の政策
消費税は廃止
インボイス廃止
ガソリン税ゼロ
教育費無償
社会保険料減免
などにその通りだと思いながらも
しかし結局なにひとつ
実現されることはないだろうなと思う
与党と与党寄りの野党が
消費税のいっそうの増税
インボイス実施
ガソリン税ばんばん取る
教育費無償なんてとんでもない
社会保険料だって増額
といった路線を強硬に進めるからで
代議制民主主義は数の暴力である以上
山本太郎の掲げる政策は
どれも一夕の夢物語に終わるしかない
与党に反対するあらゆる政党も
与党と同じように茶番だと言われる所以である
山本太郎の話が終わって
聴衆からの質問タイムに入り
ちょっと逸れた話をする人もいれば
テーマを絞った質問をする人もいる
こういう時間を設けるのが
山本太郎の巧みなところで
見事な運営をしていると思ったが
それでもどれもこれもが
結局は何の意味もない時間つぶしだな
とぼくには思えてしまう
ミンシュシュギではそう思ってはいけない
とは思うのだがそう思ってしまう
だって国民の半数は頑として投票に行かず
国民は政治の分析も勉強もやはりせず
国際政治の本質などいよいよ考えず
そういう中で与党の組織票はやはり多く
どうしたって与党議員の多さが維持され
与党並みに憲法改正したがる野党が
ぐんぐんと票を伸ばすだろうから
「発言したい方は手をあげてください」
と山本太郎は言い続け
けっこうな数の人が手をあげて
なかなかの積極的な小議論場が
駅前だというのに発生し
古代アテネのアゴラもこんなふうだったか?
とちょっと思ったりもしたが
ぼくの場合は発言したくもなく
発言してもしょうがないことしか言いたくはないので
手はもちろんあげたりしない
もしなにか言うとすればぼくが言いたいのは
「今のミンシュシュギの中では
これ以上ないほどの正しい意見をあなたは
まさに模範的に言っているが
にもかかわらず
国民は絶対にあなたの望むようには動かず
アメリカによる与党操縦は絶対的であり
アメリカに寄りそって儲けようとする売国奴も
あまりに執拗に蔓延ってしまっていて
あなたの意見はやはりなんの効力も持ち得ない」
というようなことであって
これを政治家や政治の可能性を信じたい人に言うのは
どう見ても場違い過ぎるのがわかっているので
ぼくはチェーホフやドストエフスキーのように
政治的言説に注力はしない方向に動かざるを得ない
唯一の方策とでもいうものは
このまま日本がさらなる属国化を深め
国民は政治を考えず参加しようともせず
税金も物価もどんどん上がり続けて
国民はどんどん買い控えだけをするようになって
経済はさらにまわらなくなっていき
自殺がさらに増加しなにかやる気も底なしに失われ
老若男女精神的な老人や廃嫡者のごとく沈滞し
萎びきった貧乏国民はただのゾンビとなって
それでも日本風の礼儀正しさや穏やかさを
バカのひとつ覚えよろしく維持しようとする一方
外国人によるさまざまな乗っ取りや流入が増え
ついには日本語さえ廃止されていくのを
少しでも加速させて徹底した滅びを迎えさせることだろう
他の方策はもうこの国にはあり得ない
となれば今の与党の推進するままにしておけばよく
アメリカから型落ち品の軍備ばかり買い込んで
それをどこかで使用すべく憲法も改正して
小さな軍事国家に堕して東朝鮮とでも改名すれば
八方だれもが喜ぶ喜劇の完成となるはずだろう
「悲しいかな!
われわれは、平和革命というものは、
われわれの好戦的な人間性がなじむには
あまりにも理想的なものだ、
と考えないわけにはいかない。
実際、事件がもっとも自然で、
損害のもっとも少ないコースをたどることは
めったにない。
それに、事件のそのような破局的展開のための口実は
数多く存在する」*
とあらかじめ19世紀に嘆いていたのは
ジョゼフ・プルードンだったが
もちろん2023年の松戸駅前で
プルードンのことを
軟弱にっぽん国民に向けて持ち出しても
それこそ奇想天外なSFっぽく
なってしまうだけのことだろう
*ピエール・ジョゼフ・プルードン『
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