2023年6月1日木曜日

霊と呼ばれがちなものはデータであり


 

 

〈アストラル体〉は、〈高次感情センター〉が低次センターと調和して

完全かつ適切に機能するために必要である、

あるいは、〈高次感情センター〉は〈アストラル体〉が働くために必要である(…)

〈メンタル体〉は〈高次感情センター〉と関連している。

それらが全く同一のものであるとするのはまちがいだが、

一方は他方を必要とし、片方では存在できず、

また一方は他方のある側面や機能の表現なのだ。*

G.I.グルジェフ

 

 

 

 

睡眠中に

肉体から霊が離脱して

起きる時には戻ってきて

肉体に入り込む

という

わかりやすいイメージ

 

これは

間違っている

 

霊と呼ばれがちなものはデータであり

パケットごとに

けっこうバラバラになって

肉体というトポスに送られてくる

霊界から特定の回路だけを通ってまとまって戻ってくるのではなく

あちこちから

いろいろな通路を通って

バラバラに戻ってきて

勝手に整序される

ちゃんと並び直すようにデータ番号がついている

 

肉体も

じつはデータが拵えている虚像なのだが

肉体の側がいちおう実在しているかのように仮定して

その側に立って見れば

霊が戻ってくるのはダウンロードにあたっているが

過去に何度も受け取り直したデータを

肉体は再利用するので

キャッシュの技術が使われているといってもいい

 

キャッシュがあるおかげで

霊の多くの部分が肉体を離れている場合でも

肉体の側は「自己」を擬似的に不完全ながらも再生できる

キャッシュは肉体は消滅した後にも機能し続ける場合があって

これはよく幽霊と呼ばれたりする

霊界からデータが流れ込み続ける回路が残っている場合は

ストリーミング機能が使われているとも言える

 

深く眠っていたのが目覚めに入る際

だんだんこの世についての知覚が蘇ってきたり

その日にやるべきことが思い出されたり

いろいろな意識活動が再開されてくるものだが

これはまさにストリーミングの機能が使用されている時で

霊データをダウンロードしながら

少しずつ再生がなされていっている

 

だいぶ意識が戻ったけれども

まだなんとなく

きびきびと体が動かせないような時は

バッファリングが観察される時だと言っていいだろう

 

ともあれ

心霊学探究の徒たる友らよ!

霊をひとまとまりの体のようなものとして捉えるのを止めて

バラバラであり続ける

パケットの集積のようなものとして捉えたほうが

真相に迫れるというものではないか?

霊は人間の肉体のようなかたちではまったくないのだ!

 

 



 

PD.ウスペンスキー『奇跡を求めて』(浅井雅志訳、平河出版社、1981)、pp.308-309.

P.D.Ouspensky 《In Search of the miraculous, 1949







0 件のコメント:

コメントを投稿