Ⅰ
横にながいビルなので
すべてのあかりが消えていると
お城のようにも見える
目の前に現われた時は
実際
どこのお城だろう?
と思った
しかし
お城ではない
風景としてずいぶん馴染んでいた
渋谷の大型ビルだ
できた時には
1階や2階に飲食店や
ゲームセンターがたくさん入り
ラーメン屋やスパゲティ屋は
よく利用した
そんなビルも
取り壊しが迫ってきたらしい
すべてのあかりが消えて
出入りする人たちも皆無になってみると
逆に凄みのある存在感で
夜の暗さの中に鎮座している
まわりは真っ暗で
もう建物はひとつもない
墨を流したような
とか
墨汁を流したような
という
暗さの形容があるが
真っ暗に見えても暗さに濃淡があり
薄墨を流したような暗さのところもある
あんなにたくさんのビルで
ひしめくようだった渋谷なのに
目の前にあるビルの他は
もうなにもない
すべての建物が取り払われて
黒土が露出している
Ⅱ
ぐんぐん彼女は進んでいくので
暗くなったお城のようなこのビルを
眺めている暇もない
たくさんのビルはなくなったが
広大な跡地には
掘っ立て小屋のような簡易な家を建てて
住みつく人たちが増え
そうした家のあいだを抜けて
彼女は進んでいく
どの家にも塀や門などはなく
家のまわりには
夜でもたいてい洗濯物が干されていて
それらの隙間を縫って
ぼくらは進んでいく
塀がないと言ったって
あんまり家の近くは通らないほうが
いいんじゃないかな?
などとぼくは言ってみるが
彼女は聞き入れるそぶりもなく
あいかわらずどんどん進んでいく
Ⅲ
それにしても
あれほどビルが立ち並んで
繁栄を極めたように見えていたのに
黒土の上に平屋がぱらぱら立ち並ぶだけの
貧しい時代の郊外のようなこの風景は
どうしたことだろう?
数十年でこれほどまでに
土地の風景というのは
変わってしまうものだろうか?
あれらたくさんのビルを建て
活用したり維持したりしていたひとつの文化は
これほど少しの時間で
こんなにも容易に消滅していくものか?
見えている空気の暗さに驚きながら
どんどん進んでいくばかりの
彼女に遅れまいとこちらも足を速めながら
黒土の上を進み続けていく
いつもどこでもこうだった
ぼくを導きながら
ときどきついて行けなくなりそうなほど
はやく好き勝手に
ぐんぐん
どんどん
彼女は進んで行き
見たこともない
見るとも思えなかった風景の数々に
ぼくを直面させ続けたのだ
彼女は誰だったっけ?と
ときどき確認しようとするのだが
ずいぶん曖昧に
いい加減に
いつもどおりに呼んでおくしかない
運命
と
モイラとか
モイライとか
クロートー
ラケシス
アトロポスの
運命の女神の三姉妹
などと
ちょっと箔をつけて
ギリシア語で呼んだりする必要は
ない
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