『CASTALIA』(キャスタリア)は
坂本龍一の初期の作曲のひとつだが
テクノポップ嫌いのぼくも
これには
惹きつけられた
近づいてくるなにか
顕現しようとするなにか
音でそれを
描出しようとしている
と感じた
・『CASTALIA』シンセサイザー版
https://youtu.be/rkIGxZe04SU?
・『CASTALIA』オーケストラ版
https://youtu.be/6BUWgkBVr1E?
・Jeroen van Veenによるピアノ演奏版『CASTALIA』
https://youtu.be/FckFSlJinmc?
他のテケテケしたテクノポップと違うこの曲を聴いて
彼の本質が
じつは
音楽による霊的探究のようなものにあるのではないか
と
はやくから思った
その後に彼が作曲していった
映画音楽の
『戦場のメリークリスマス』
『ラストエンペラー』
『シェルタリング・スカイ』などを聴くにつれ
そのことは
おのずとはっきりしていった
ように思う
・ラストエンペラー
https://youtu.be/PcGY0dStHuA?
・戦場のメリークリスマス
https://youtu.be/S3yJL4mCbjs?
・シェルタリング・スカイ
https://youtu.be/xLRpPISVgoA?
・嵐が丘
https://youtu.be/1oUcmForp_E?
・リトルブッダ
https://youtu.be/kYCOA7ZpNfY?
テクノポップブームを巻き起こしたミリオン・セラーアルバム
『 SOLID STATE SURVIVOR』の中に紛れ込ませるように
『CASTALIA』(キャスタリア)は収録されていた
ふつうのファンたちは
『RYDEEN』や『TECHNOPOLIS』を聴くために
このアルバムを買ったのだろうに
ひとつ
まったく異質なこの曲が
奇妙なブラックホールのように
別世界を成していた
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』のサイドAは
ノンストップ・ディスコ路線だが
坂本龍一作曲の『CASTALIA』が最後に置かれ
YMOの陰の部分を覗かせた
と今は評される
初期YMOのコンセプトは
ハリー細野こと細野晴臣がプロデュースする
匿名の”楽団”だったが
『CASTALIA』の挟み込みによって
<天才的なポップス耳を持つ細野>と
<現代音楽の理論でポップスを解体する坂本>という
パワー・バランスが表層化した
と言われもする
これがYMOのエネルギーともなれば
解散を招き寄せる大きな原因ともなった
とも
細野晴臣によれば『CASTALIA』は
タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』
そこからホラー映画の『サスペリア』にイメージが移り
結局ギリシア神話を素材にすることになって
〈キャスタリア〉になっていった
映画『惑星ソラリス』の原作である
SF小説の『惑星ソラリス』(「ソラリスの陽のもとに」)は
1970年代後半には世界的傑作として有名で
知的なものに関わる人間なら
知らぬ者はいなかった
人間の潜在意識を探り出して実体化する“海”のある惑星「
意識と存在の根源を探求した小説で
こちらも坂本龍一のインスピレーションの元に
なったに違いない
音楽的には
武満徹の影響に対する反応だった
特に『弦楽のためのレクイエム』が意識にあったようだが
武満徹の音楽全体への
坂本龍一の当時としての回答のひとつといえる
学生運動の活動家だった坂本龍一は
都立新宿高校時代にバリケード封鎖を決行し
武満徹を批判するビラを配った
武満徹を体制側の作曲家と見なし
武満の日本的な情緒が不愉快だった
批判された武満は
坂本に「このビラ撒いたの、君?」と聞き
これが初めての出会いとなった
後に
シロウトの小グループでコンサートをした際
その後で偶然バーで武満と会い
「ビラのときの子ね。君、いい耳持ってるね。」
と言われ
存在を認められた
武満は
そんなシロウト青年グループのコンサートにも
観客として聴きに来ていた
「嫌い」ということで言えば
坂本龍一は
喜多郎とCHAGE and ASKAを嫌った
「外国人が持つ日本コンプレックスをくすぐる、
と言っていた
糸井重里との対談では
「自分の生活を露出させる人は、他人に対して無遠慮だ」
とし
「ジャージをはいてる人が嫌い。
ジャージはその人の生活を完全に感じさせるものだから
そんな格好して
外に出てくるな」
と言ったりしている
もっとも
坂本龍一も
アニメ監督の高畑勲監督からは嫌われた
音楽を頼まれた時
作った音楽があまりにも暗すぎて
解雇された
言うまでもない有名な話だが
父の坂本一亀は河出書房の名編集者で
三島由紀夫や野間宏
中上健次
高橋和巳などを
世に送り出した人物
学生運動家だった血気盛んさは
粗暴さとして露呈する場合も多くあり
有名になってからの乱暴さについては
後年
こう反省している
「YMOで大ブレイクして
30歳代半ばまではまさに人生の絶頂期で
遅刻やすっぽかしもしょっちゅうだった
運転手が気に入らないとすぐに殴ったり蹴ったりした
今思えばとんでもないことであり
私の理不尽な暴行に耐え切れず辞めていった運転手の人たちには
申し訳ないと思っている
子供の頃
体格がよかったこともあって
力ずくで意思を通すことをあまりためらわない性格に
育っていた
言い添えておけば
坂本龍一は
ぼくの嫌悪の対象のひとりだった
彼が若い頃に
体制側の人間として武満徹を憎悪したように
坂本龍一は体制側の代表的人物だった
彼の政治活動は欺瞞であり
有名人としての甘い政治見解が
唾棄したくなるほど不愉快だった
面白いものだ
坂本龍一の概観をたどり直し
イメージをいくらかでも作り直してみて
ようやく今になって
彼への嫌悪が消えていく
坂本龍一が暴力的な人間であったことがわかり
嫌悪がスッと解消していった
なぜなら
政治はあらゆる意味での暴力であり
人間世界もあらゆる意味で暴力であり
万人は政治的人間でしかあり得ず
万人は暴力的人間でしかあり得ず
今後の世界はいっそう政治的になり
いっそう生の暴力の場にしか
成りようがないからだ
政治という100%の虚偽世界には
逆に
嘘がない
そして
生の暴力の世界には
偽りのやさしさは
ない
そういう世界でのやさしさは
掛け値なしの100%のやさしさであり
そういう世界へと向ける虚偽は
真実そのものである
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
斉藤史
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