自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。
『シラ書(集会の書)』
七日間の休止後
ふたたび戦闘がはじまると
はやくも
170人以上がガザで死んだ
と
報じられた
キリスト教徒でない民に
愛する者よ、自ら復讐すな、
ただ神の怒に任せまつれ。
録(しる)して
『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』
とあり
(愛する人たち、自分で復讐せず、
神の怒りに任せなさい。
「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』
と主は言われる」
と書いてあります。)
という
パウロの
『ローマの信徒への手紙』の
12章19節の
有名な言葉を思い出させても
意味はないのだろう
おなじくパウロの
『ヘブライ人への手紙』の
10章28節から31節を思い出させても
やはり
意味はないのだろう
モーセの律法を破る者は、
二、三人の証言に基づいて、
情け容赦なく死刑に処されます。
まして、神の子を足げにし、
自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、
その上、恵みの霊を侮辱する者は、
どれほど重い刑罰に値すると思いますか。
「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と言い、
また、「主はその民を裁かれる」と言われた方を、
わたしたちは知っています。
生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。
まさに
ユダヤ教徒のための
旧約聖書のなかの
『レビ記』19章18節を思い出させるほうが
いいだろう
復讐してはならない。
民の人々に恨みを抱いてはならない。
自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。
わたしは主である。
あるいは
さらに
『シラ書(集会の書)』の
28章1節から7節を思い出させるほうが
いいだろう
復讐する者は、主から復讐を受ける。
主はその罪を決して忘れることはない。
隣人から受けた不正を赦せ。
そうすれば、願い求めるとき、お前の罪は赦される。
人が互いに怒りを抱き合っていながら、
どうして主からいやしを期待できようか。
自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、
どうして自分の罪の赦しを願いえようか。
弱い人間にすぎない者が、憤りを抱き続けるならば、
いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。
自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。
掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
いと高き方の契約を忘れず、他人のおちどには寛容であれ。
また
『シラ書』の
27章27節~28節
を
悪事を働けばその報いがわが身に返って来る。
だが、それがどこから来たか彼にはわからない。
傲慢な者は他人を軽蔑し非難するが、
復讐が獅子のように待ち伏せる。
また
『シラ書』の
16章11節後半~12節
を
憐れみと怒りは、ともに主のものであり、
贖う力、怒りを浴びせる力を主は持っておられる。
その憐れみが深いように、とがめもまた厳しい。
主は、人を、それぞれの業によって裁かれる。
さらには
『箴言』の
25章21節~22節
を
あなたを憎む者が飢えていたならパンを与えよ。
渇いているなら水を飲ませよ。
こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。
そして主があなたに報いられる。
そうして
もうひとつ
『シラ書』から
7章32節~35節
を
貧しい人に援助の手を差し伸べよ。
そうすれば、お前は豊かに祝福される。
生きとし生けるもの、すべてに恵みを施せ。
また、死者にも思いやりを示せ。
泣く人と共に泣き、悲しむ人と共に悲しめ。
病人を見舞うのをためらうな。
それによって、お前は愛されるようになる。
これがユダヤ教の教えるところであり
ユダヤ教の真実であり
ユダヤ教の言葉の実力である
ここから少しでも外れる者は
はっきりと記されているように
「それぞれの業によって裁かれる」だろう
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