世界の状況に危機感を持ち
人間というものの愚かさに心を苦くするばかりのある若者が
短すぎる言語表現としての短歌など
まったく意味がない
と
あまりに無碍に否定しさるので
いくつか
短歌を書き送ってみた
わたしとて
短歌など
最良の表現手段としてなど
認めてはいない
短歌では思考はできない
思考は
延々と途切れなく無限に言語を並べていくことでしか出来ず
必然的に文字の連続していく跡は長くなっていく
長いのがいいとか悪いとかいうことではなく
しかたなしに長くなっていってしまう
思考の自然
というものが
そうさせてしまっていく
短歌や俳句は
そうした
思考の自然
思考が必然的に要求する自然的条件をあらかじめ否定する
音数を決めて
その中でのみ言葉を使えと命じてくる
そういうゲームとして設定してくる
そういう意味で
短歌や俳句は
思考の反自然を強制してくる舞台である
だが
こうした不自然な環境が
まったく無意義な環境に終わるかといえば
そうとも言えない
それは
短歌や俳句を読んでみればわかる
思考や思念がどこまでも連続していくことを
あらかじめ完全に捨てて
ある音数で
……というのは日本語の場合
ある母音数で
ということになるが
絶対に言い終える
言い止める
それ以上は言葉を生まない
生ませない
言葉の並び行きを断絶する
断絶させる
というのが短歌や俳句の
至上の心得であり
約束事であり
決意
ここで断絶させられるのは母音の並び行きなので
ある意味
母の連鎖の断絶を想像させる
三十一音までで
生む母の存在自体を断つのである
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ
を作った小野茂樹は
短歌について
こう考えていた
日常会話ですら完結しがたい日々に、
(歌集『羊雲離散』後記、1968)
ミハイル・バフチンの言い方を借りるなら
「世界の最後の言葉」を
完結していないじぶんの命の流れのさなかに言ってしまいたい
ということだろう
ハイデガーは
人間存在を
みずからの死が来るのを知って死に向かって進んで行く存在だと言
人間存在はむしろ持続者である
徹底的持続者とも
決定的持続者とも言ってよい
その人間の持続の終わった時にその人間存在は消滅し
その人間は自己についての思考も
過去や未来についての思考も
人間性や存在や時間についての思考もしなくなるのであり
そうした人間的思考を行なうのは
ただ単に自己意識の持続のさなかでだけであり
思考を行なわなくなる時には人間存在は単に「ない」
すべての本質的根底は
持続
ということ以外にはない
短歌は
そうした持続ということへの自決なのである
さて
世界の状況に危機感を持ち
人間というものの愚かさに心を苦くし
短すぎる言語表現としての短歌を否定しさった若者に送った短歌は
小野茂樹の前掲歌ではない
彼が読んでいなさそうな
以下の短歌だった
ナチはユダヤをユダヤはパレスチナをひしぐなり
弱きをひしぐ歴史
坪野哲久
天皇の名による二十一代集支えしはよよの百姓のあぶら
坪野哲久
磧より夜をまぎれ来し敵兵の三人(みたり)迄を迎へて刺せり
宮柊二
ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す
宮柊二
プラトンはいかなる奴隷使いしやいかなる声で彼を呼びしや
大滝和子
戦争を憎むと言へりしかりしかり然りしかうしてきみはどう
黒木三千代
青人草あまた殺してしづまりし天皇制の終を視なむ
山中智恵子
即興の選択であったので
選び方に歪みや
傾きがあるのはしかたがない
これらの短歌も
思考と呼ばれるに足る思考を表わしているとは
言えないだろう
しかし
思考のある程度の持続のはての
なんらかの
結語のようなものには
なっているだろう
少なくとも
目
とはなっているだろう
覗き込めば
思考のよく見える目とは
なっているだろう
もちろん
次のような短歌も
この即興の選のバランスを少し取るために
加えておいてもよい
夜ざくらを見つつ思ほゆ人の世に暗くただ一つある〈非常口〉
高野公彦
今ならばさうも言へるが日没が言葉をころすときの重たさ
岡井隆
蝶の眼に見えてわが瞳に見えぬものこの世に在りて闇に入る蝶
築地正子
しかし
短歌的思考のもっともよく表わされたものは
これか
春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ
前川佐美雄
あきらめも
絶望も
言い切りも
概念や論理的思考や自己存在への自決もすべて含めての
短歌的思考
というものがあるのである
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