2024年4月10日水曜日

江戸らしさが始まっていく


 

 

今日東京市中の散歩は私の身に取っては生れてから今日に至る過去の生涯に対する追憶の道を辿るに外ならない。これに加うるに日々昔ながらの名所古蹟を破却して行く時勢の変遷は市中の散歩に無常悲哀の寂しい詩趣を帯びさせる。およそ近世の文学に現れた荒廃の詩情を味おうとしたら埃及伊太利に赴かずとも現在の東京を歩むほど無残にも傷ましい思をさせる処はあるまい。今日看て過ぎた寺の門、昨日休んだ路傍の大樹もこの次再び来る時には必貸家か製造場になっているに違いないと思えば、それほど所縁のない建築もまたはそれほど年経ぬ樹木とても何とはなく奥床しくまた悲しく打仰がれるのである。

永井荷風 『日和下駄』

 

 


 

 

住んでいるところの東西南北

どこも桜のうつくしいところばかりなので

桜ファンではないながら

咲く時期には

連日

仕事や用事の隙を縫って

いそがしく出歩く

 

上野公園からの徒歩での帰りしな

あそこには

あまり桜はなかっただろう

などと思いながら

神田明神にも寄った

 

ところが

境内に入ると

これは

これは

みごとな桜の満開が

待っていた

 

名所と呼ばれるほどの本数はないが

朱塗りの隨神門を背景に咲き誇る

大樹の咲きっぷりは

数多い桜の風景のなかでも

江戸の華と呼ばれるべきものだろう

この風景なら

桜の美に小うるさい京都人たちも

おそらく認めるに違いない

 

さすがに

江戸最高の神社だけあって

四季おりおりの景観の整えに

抜かりがない

 

桜の時期というのに

境内で

はやくも神田祭の案内を見たが

おやおや

なにがはやいものか!

初夏五月の十日過ぎ頃から始まるのだから

もうひと月後ではないか!

桜が済めば

あれこれの行事に一気に忙しくなる

江戸らしさが始まっていく

 





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