2024年4月11日木曜日

ひとりの身体冒険家の戦いの記録

  

 

64代横綱の曙太郎が死んだ

というので

年齢をみると54歳だった

 

まだまだ若い

 

心不全だったというが

近年は闘病生活を続けていた

と短い記事にある

 

横綱になってから

北勝海(現八角親方)引退後の横綱空位を埋め

貴乃花の昇進までひとりで横綱を11場所務めて

横綱3場所目からは3連覇し

年間最多勝を果たした

というから

横綱になってからは

たいへんな活躍ぶりだった

 

膝の故障に苦しみ

優勝のペースも落ちたが

2001年の初場所を両膝悪化で全休し

回復が見込めないと判断して

「もう優勝争い出来ない」

「横綱として惨めな姿で土俵に上がれない」と

潔く現役引退を表明した

謙虚で礼儀正しい

この時の幕引きぐあいの見事さには

当時の横審の内館委員長も感激したという

 

相撲取りは

引退したら裏にまわって

親方として後進の指導にあたれば

それなりに敬意を払われ

居場所もちゃんと保証されて

まずまず穏やかに暮らしていけるのだが

曙は2003年に

異業種の格闘技K1参戦を発表した

ボブ・サップやチェ・ホンマンやボビー・オロゴンと対戦していったが

いくら優秀な横綱経験者であっても

総合格闘家としては強みは出せなかった

相撲引退の原因となった両膝の故障も

K1での戦いには不利にしかならなかっただろう

 

K1に出るようになった曙には

当時

違和感しか感じず

かつての大横綱がなにをやっているのだろう?

と否定的に見たものだが

亡くなった今になってふり返れば

体をかけた勝負師として

形式にこだわらずに挑戦し続けようとしたのだろう

と見えてくる

自分の体を動かしてリング上で戦い続けるのが

生き甲斐だったのだろう

 

こう見直してみると

両膝故障による引退後や

やらずもがなのK1への挑戦や

その後の体調不良続きや

闘病生活も

54歳という若さでの死も

曙という人の価値観や生きざまをよく表わしている

と見えてくる

 

やらないでいれば

頑張り過ぎないでいれば

そこそこ

安楽に生きのびていけるはずなのを捨てての

ひとりの身体冒険家の

戦いの記録

と見える

 

 



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