第64代横綱の曙太郎が死んだ
というので
年齢をみると54歳だった
まだまだ若い
心不全だったというが
近年は闘病生活を続けていた
と短い記事にある
横綱になってから
北勝海(現八角親方)引退後の横綱空位を埋め
貴乃花の昇進までひとりで横綱を11場所務めて
横綱3場所目からは3連覇し
年間最多勝を果たした
というから
横綱になってからは
たいへんな活躍ぶりだった
膝の故障に苦しみ
優勝のペースも落ちたが
2001年の初場所を両膝悪化で全休し
回復が見込めないと判断して
「もう優勝争い出来ない」
「横綱として惨めな姿で土俵に上がれない」と
潔く現役引退を表明した
謙虚で礼儀正しい
この時の幕引きぐあいの見事さには
当時の横審の内館委員長も感激したという
相撲取りは
引退したら裏にまわって
親方として後進の指導にあたれば
それなりに敬意を払われ
居場所もちゃんと保証されて
まずまず穏やかに暮らしていけるのだが
曙は2003年に
異業種の格闘技K-1参戦を発表した
ボブ・サップやチェ・ホンマンやボビー・
いくら優秀な横綱経験者であっても
総合格闘家としては強みは出せなかった
相撲引退の原因となった両膝の故障も
K-1での戦いには不利にしかならなかっただろう
K-1に出るようになった曙には
当時
違和感しか感じず
かつての大横綱がなにをやっているのだろう?
と否定的に見たものだが
亡くなった今になってふり返れば
体をかけた勝負師として
形式にこだわらずに挑戦し続けようとしたのだろう
と見えてくる
自分の体を動かしてリング上で戦い続けるのが
生き甲斐だったのだろう
こう見直してみると
両膝故障による引退後や
やらずもがなのK-1への挑戦や
その後の体調不良続きや
闘病生活も
54歳という若さでの死も
曙という人の価値観や生きざまをよく表わしている
と見えてくる
やらないでいれば
頑張り過ぎないでいれば
そこそこ
安楽に生きのびていけるはずなのを捨てての
ひとりの身体冒険家の
戦いの記録
と見える
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