ある視点から端的にいえば
あいかわらず
間引きが
世界中で行われ続けているだけのことである
日本の昔では
次のようなやり方が
ごくごく
ふつうのことであった
地方によっていろいろな殺し方があった。
特殊な殺し方もあり、
備前(岡山県)では、河中の柳の枝に古ゴザに包んで結びつけた。
これは「エビすくい」 と呼ばれた。
陸中(岩手県)では、臼の下へ赤児を置いて圧殺した。
土佐(高知県)では、あの世へ早く飛んで行けるようにと、
床下へ埋める幼児の脇の下に鶏の羽根をはさんだ。
一般には、赤児の生まれた直後、
産婆が親の意向を聞いて、処置したという。
ふつうは、男児より女児が間引かれることが多かった。
土佐の津野山には、こんなわらべ唄がある。
「今度できる子が女なら、つまみ殺して南無阿弥陀仏。
今度できる子が男なら、寺へ捧げて手習いさして・・・・・・。」
各地に、間引いた子の霊をまつる地蔵や塚がたてられ、
その多くは……
この数週間は
昔からの子殺しについての文献を
古い図書蔵で漁って過ごした
メモを取るのにふだんは出典も明記するのだが
いま此処に引用した図書の名やページは
不覚にも記録し損ねた
時間のとれる時が来た時
いくつかの廃村や絶えた集落を越えて
傾いたり崩れた墓の中を辿って
教えられたあの古い図書蔵に行って
メモし直して来ないといけないだろう
0 件のコメント:
コメントを投稿