これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
心置なく泣かれよと
年増婦の低い声もする
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
中原中也 「帰郷」
中原中也の詩は
中学生の頃から好きだったが
ときどき
俗なリズムになるところや
小林秀雄に恋人を取られた有名な話や
酔っ払うと
いっしょにいる人を急に拳で突いて
「中原サンのお突きを見たか!」
などという
乱暴なところもあったのを知っていたので
いわゆる詩人サンの典型で
ろくに物事を考えられないし
文章など書けないのだろうと思い込んでいたが
「古本屋」という文章を読んでからは
彼がふつうに文章が書けたことに気づいて
中原中也のイメージを
頭のなかで再編成し直したものだった
こんな文章である
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古本屋 中原中也
夕飯を終へると、
それから彼は夕刊をみながら、煙草を吹かすのであつた。
年来の習慣で、
もうそろそろ空にも昼の明りが消えて了はうとしてゐて、
七時半まで誰か来ないものかと待つてゐたが誰も来なかつた。
それから約三十分の後には、彼は中野の通りを歩いてゐた。
空には、
その通りを行き切つて、明るい旧通りへ出ると、
「今晩は」と彼は云つた。
「あゝ、お珍しい……ま、お這入んなさい。」と親爺が云つた。「
彼が茫然して直ぐに返事をしないと、親爺は急に笑顔をやめた。
「小父さんの方は繁盛ですか。」
「いやいや、もう安宅さん……わたしの方は商売上つたりで、
彼は今しがた彼の家を出掛ける時に、行かうと決めた友人の所へ、
蚊ふすべをするため、ジヨチウ菊を燃したばかりだといふので、
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おそらく
小説に仕立てようとして
書きはじめたものだったのだろう
古本屋の親爺を
なかなか印象深く描き出しはじめている
詩歌を書く人たちのつねで
書きたい形式と
試したい言葉の組み合わせや組み替えが
中原中也の頭にも
たえず押し寄せ続けていただろう
そのために
一定のトーンを保たせて長く続ける必要のある散文は
どうしても中断せざるをえなくなる
散文が書けないのではなく
まだ書かれないままになっている詩歌や
言葉の群れや
言葉の組み合わせや
終わりのない組み替え実験が
後から後から押し寄せ続けるために
ひとつの散文にかまけていられなくなるのだ
詩歌を書く人たちでないと
絶対にわからない苦しみである
詩歌は
書き手が一定の年齢に達して
思想の取り込みや沸騰と
エネルギーとなる感情のそれへの混入とが
やや沈静化してきた場合
グッと作られなくなっていく傾向がある
中原中也ももっと長生きしていれば
そういう年齢を迎えて
落ち着いて
ひとつの散文に取り組むこともできたかもしれない
きっとできただろう
と思わされるだけの可能性が
この文章にはある
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