2024年12月20日金曜日

後から後から押し寄せ続けるために

 


 

 

これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

 

 中原中也 「帰郷」

 

 


 

 

中原中也の詩は

中学生の頃から好きだったが

ときどき

俗なリズムになるところや

小林秀雄に恋人を取られた有名な話や

酔っ払うと

いっしょにいる人を急に拳で突いて

「中原サンのお突きを見たか!」

などという

乱暴なところもあったのを知っていたので

いわゆる詩人サンの典型で

ろくに物事を考えられないし

文章など書けないのだろうと思い込んでいたが

「古本屋」という文章を読んでからは

彼がふつうに文章が書けたことに気づいて

中原中也のイメージを

頭のなかで再編成し直したものだった

 

こんな文章である

 

 

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古本屋    中原中也


   夕飯を終へると、彼はがつかりしたといつた風に夕空を眺めながら、妻楊子を使ひはじめた。やがて使ひ終つてその妻楊子を彼の前にある灰皿の中に放つた時、フツと彼は彼の死んだ父親を思ひだした、その放る時の手付や気分やが、我ながら父親そつくりだつたやうな気がした。続いて、「俺も齢をとつたな……」と、さう思つた。
 それから彼は夕刊をみながら、煙草を吹かすのであつた。
 年来の習慣で、彼は夕飯を終へると散歩に出掛けるか誰か知人を訪問するかしなければ気が済まないのであつた。しかし今晩は、出掛けるために電車賃が一銭もないのであつた。彼はズツと離れた郊外にゐたし、彼の友人や知人はみんな市内やまた他の方面の郊外にゐたので、彼は電車賃がないとなれば、誰かが遊びに来るのを待つてゐて、遊びに来た者から借りるか、それとも本を売るかしなければならないのだつた。
 もうそろそろ空にも昼の明りが消えて了はうとしてゐて、電燈をめがけて飛んでくる虫も増していつた。
 七時半まで誰か来ないものかと待つてゐたが誰も来なかつた。そこで彼は起ち上つて、室の隅に行つて、原稿紙の反古や本や雑誌の堆の中を探しはじめた。読んでしまつた本が二冊ばかり出て来た時に、「五十銭にはなるだらう」と呟いた。
 それから約三十分の後には、彼は中野の通りを歩いてゐた。新しく出来た六間道路とその辺の者が呼んでゐる通りには、まだギャレッヂと雑誌屋と玉突場とがあるきりだつた。そのほか寿司の屋台が出てゐる日があり、今日はそれは見えなかつたが、四五本の柱にトタン屋根を張つた、一時拵への氷店が出来てゐた。長さ二町ばかりの、その暗い湿つぽい通りに、今挙げたホンの三四軒の店屋が所々にあるのは、まるで蛍でもゐるやうな感じだつた。
 空には、晴れた空の一部分に黒い濃い雲形定規のやうな雲があつて、一寸欠け初めたばかりの月が、みえたり隠くれたり、可なり威勢よく渡れ亙つてゆくのが見られた。と、心持寒い風が、彼のその帽子を被つてない頭を撫でてゆくのだつた。
 その通りを行き切つて、明るい旧通りへ出ると、そこから直ぐと近くにある、彼が三年前に屡々買つたり売つたりしてゐた古本屋に、チヨツと寄つてみようかといふ気が起つた。
「今晩は」と彼は云つた。
「あゝ、お珍しい……ま、お這入んなさい。」と親爺が云つた。「ゐツひ、ひひひ。近頃はどちらにお住ひで。どうです、安宅さん、みたところお元気で、御景気も好いやうですが……」
 彼が茫然して直ぐに返事をしないと、親爺は急に笑顔をやめた。そしてゐざるやうにして坐布団を取ると、それを上り口に置いた。
「小父さんの方は繁盛ですか。」
「いやいや、もう安宅さん……わたしの方は商売上つたりで、もうずつとくひこみですあ。」云ひながら彼(一字不明)その面積の広い赫ら顔をシカめて、その前で手を振るのだつた。「もう駄目です、この不景気にはキリがありません。そのとどまる所を知らず――といふところです、をつホホホホ……」そして彼が上り口に腰掛けようとするのを見ると、「ま、まあ、お上んなさい」と云つた。
 彼は今しがた彼の家を出掛ける時に、行かうと決めた友人の所へ、行くのならばぐづぐづしてはをれない時刻だと思ひながら、上り込んだ。
 蚊ふすべをするため、ジヨチウ菊を燃したばかりだといふので、部屋の中には煙が残つてゐた。近所では、日蓮宗の信者達が集つて、お大名を称へてゐる女の疳高い声や睡さうな男の声がしてゐた。

 

 

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おそらく

小説に仕立てようとして

書きはじめたものだったのだろう

古本屋の親爺を

なかなか印象深く描き出しはじめている

 

詩歌を書く人たちのつねで

書きたい形式と

試したい言葉の組み合わせや組み替えが

中原中也の頭にも

たえず押し寄せ続けていただろう

そのために

一定のトーンを保たせて長く続ける必要のある散文は

どうしても中断せざるをえなくなる

散文が書けないのではなく

まだ書かれないままになっている詩歌や

言葉の群れや

言葉の組み合わせや

終わりのない組み替え実験が

後から後から押し寄せ続けるために

ひとつの散文にかまけていられなくなるのだ

詩歌を書く人たちでないと

絶対にわからない苦しみである

 

詩歌は

書き手が一定の年齢に達して

思想の取り込みや沸騰と

エネルギーとなる感情のそれへの混入とが

やや沈静化してきた場合

グッと作られなくなっていく傾向がある

中原中也ももっと長生きしていれば

そういう年齢を迎えて

落ち着いて

ひとつの散文に取り組むこともできたかもしれない

きっとできただろう

と思わされるだけの可能性が

この文章にはある






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