2024年5月17日金曜日

と言うだけ


 

 

 

「復讐するは我にあり、我これに報いん」

思い出しながら

売れ残って半額になっていたおはぎを

こってり

食べる

 

スーパーで

3パック

売れ残っていて

1パックにふたつ入っていた

 

ちょっと大きめ

3パックも買ったら

お腹がパンクしちゃうから

1パックしか

買わないけれど

半額になっている時にまとめ買いして

時間の襞のポケットに

ポケッと

しまっておけたら

冬ごもりのリスたちが餌を隠すみたいに

便利だろうけれど

 

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。

「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」

と書いてあります。」

(ローマ書1219

と書いたのは

パウロ

 

あっちゃー

新約聖書のほうなんだよな

だから

パウロの言葉になど

聞く耳持たない

わけか

 

だけど

レビ記にちゃんと

こうあるぞ

 

「復讐してはならない。

民の人々に恨みを抱いてはならない。

自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。

わたしは主である。」

(レビ記1918

 

おっとっと

しかし

しかし

レビ記には

「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」

とは

書いていなかった

 

どこか

ほかに書いてあるのだろうか

旧約のなかの

どこか

ほかのところに

 

レビ記の記述は

「復讐」とか

「報復」という言葉なしに

おだやかに

「復讐してはならない。

民の人々に恨みを抱いてはならない。」

と言うだけ

 

「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。

わたしは主である。」

と言うだけ

 





すでに言葉が多すぎ

 


 

すでに言葉が多すぎ

なにもかもが情報という名で等し並みにされる時代には

“それにもかかわらず”明晰であることが

おそらく

詩の最低条件であろう

 

そして詩は

さらに言葉を増やそうとすることではなく

むしろ

言葉をすこしでも消そうとすることかもしれないし

等し並みに情報と呼ばれる危険から

離れようとすることかもしれない

 





2024年5月15日水曜日

深夜もやっている喫茶店にぼくらはいて

 

 

 

暴力によってしか持てないものは、実際には持ってなどいないのだ。

クロムウェル

 

 

 

 

すこしでも

生き物のいのちを奪わないように努めて

生きようとしている者たち

ではないのだから

いのちを奪われていってもしかたがないんだよ

 

あつし君が言う

 

深夜もやっている喫茶店に

ぼくらはいて

もう

夜の1時半

しあわせな時間だ

 

人間はほかの生き物を平然と殺して

のうのうと生きているだろ

だから

いつかどんなにひどい殺されかたをしても

当然の報いなのさ

 

みのる君が言う

 

そうだよ

人間に殺された生き物たちの念が

ときどき人間に入り込んで

仲間であるはずの人間にむかって

復讐を遂げるんだよ

 

ひろし君が言う

 

この喫茶店に来ると

ぼくはいつも

大好きなモカを飲んで

その次には

マンデリンだとか

ブラジル・サントスとか

キリマンジャロとか

飲んでいって

たまには

トラジャとか

ブルーマウンテンなんかも

飲んだりする

 

高価なのに

ブルーマウンテンには

あまり感心しないのだけれど

夜の2時過ぎに飲んでいたりすると

とんでもなく恵まれた

ふしぎな時間を

生きている気になる

 

それにさ

どうせ

ひとを殺したやつらは

来世でおなじように殺されるしくみなんだよ

ちゃんと

転生のしくみがわかっていれば

そんなこと

わかるはずなんだけれどね

 

ひろし君がまた言う

 

それじゃあ

「罪もない」ようなのに

いま殺されていっているひとたちも

前世では

おなじようにひとを殺した

って

わけかい?

 

あつし君が聞く

 

そうなんだよ

おそろしいほどに

まったく同じ殺されかたを

するように

できているんだよ

 

ひろし君が答える

 

ということは

いまの人間が豚や牛や鶏にやっているように

毎日毎日

大量に機械的に殺して

解体して

きれいな食肉に

されていくようなことを

いつか

いまの人間たち全員がやられる

っていう

わけかい?

 

みのる君が聞く

 

そうだよ

まったく同じように

ツーッと首の動脈を切られて血抜きされたり

内臓をゴソッとくり抜かれたり

ツルッとした肉に

きれいに切り分けられたりしていく

っていう

わけさ

 

ひろし君が答える

 

こんな話のながれを聞きながら

ぼくは夢想する

来世はぼくも

コーヒー豆に生れ

摘み取られて

干されたり

煎られたりして

さらには挽かれて

それなりの名のついたコーヒーになって

深夜の喫茶店で飲まれたり

無名のコーヒーになって

安っぽい紙コップに注がれて

添加物と混ぜられて缶コーヒーにされたり

するのかもしれない

って




シト

 

 

ひとを殺すのが楽しかった頃

なによりいちばん楽しかったのは

親しい友のガールフレンドを彼の目の前で裂いたり

先生の娘や市長の娘を彼らの目の前で犯したりすること

犯してから腹を裂くのだけれど

温かいというより熱いほどの内臓にぐずぐずと手をめり込ませて

ずくずくさぐるようにして引き出すのが

ほんとうに楽しかった

 

そんなふうに

ひとを殺すのが楽しかった頃

夕暮れはいつもせつなくうつくしく

そのうつくしさに応えるために

明日もしっかりひとを殺そうと思ったものだった

なぜか夜明けはひとを殺す衝動に合わず

ともすれば嫌悪したものだ

夜明けはどれも

これも

 

ああ

町も殺されたがっている!

文化などと呼ばれる

あらゆる生活臭の堆積も

生きざまの垢も

行き損ないどもの途惑いの跡も

 

殺すわたくしはだれか

って?

 

わたくしはひと

ではなくて

シト

 

使徒

と漢字を当ててみれば

ちょっとは

箔がつくかしら?





世界交差点

 

 

 

交差点が交差しなくなってから

ブルーが鋭い

 

しわくちゃの老婆が

あそこには

よくしゃがんでいたのに

ぼくらは

昼間には見えないはずの星座をさがして

歩道のまんなかで

天を見つめたりしていた

 

また

犠牲の小動物を裂くんだろう?

あのおじさん?

 

一匹でも動物を助けようと

ある時

ぼくらはおじさんを森に誘って

岩であたまを砕いて

内臓を引き出してしまった

 

これが

ぼくらの世界救済の

はじまり

 

なにかを助けるために殺すのは

ひたすら良いこと

 

救済者ぼくらを

キリスト

とお呼び

 

たぶん

あの時に世界交差点は

交差しなくなり

ブルーが鋭くなった

 

その鋭いブルーのなかに

ぼくらはいるよ

 

 



2024年5月13日月曜日

雨も降らない街を知らない

 

  

 

You and I have memories, 

longer than the road that stretches out ahead

  The Beatles Two Of Us

 

 

 

 

雨も降らない

街を

知らない

きみとぼくは降られて

ざんざん

ざんざん

降られ

びしょ濡れになって

困り切って

しまって

どうしようか

という

夢を

見た気がしたのだけれどそれも夢のなかで

という

思いが地を這う霧のように流れ続けて

いく

いく

いく

雨の作った小さな流れのように

雨も降らない

街の(きっと)ほうへ

知らない

知らない

ぐずるように言い募る

きみを置いて

ぼくは老いて

ざんざん

ざんざん

降られ

どうしようか

という

夢の

現実を

夢として

いつまでも

見た

ばかりこころに持ち続けて

きみとぼく

ふたり

レインコートなんて着ちゃって

日に当たって
一人ずつで

立っていたりしちゃって
きみとぼく

一山当てようと

どこに行きつく事もなく
帰っていく途中


Two of us

wearing raincoats

standing solo
In the sun
You and me

chasing paper

getting nowhere
on our way back home *

 

 

 



* The Beatles Two Of Us》より

 




Wachet auf, ruft uns die Stimme

 

 


駅で階段をながく降りていくとき

落っこったりしたら

いけないから

ずいぶんと

注意して

足どり

しっかり

して

降りていったんだけど

 

よかった!

って

思った

 

すごく集中して

降りることに集中したので

すっごく

生きている!

って

感じた

 

生きている

って

集中だ

 

駅がながい階段を用意しておいてくれるのも

集中させてくれんがためだ

生きている!

って

感じさせてくれんがためだ

 

すごいもんだぜ

 

こんな駅が

いっぱいあるんだぜ

 

「目覚めよ

呼ぶ声が聞こえ」

なんて

駅を名づけてもいいと

思っちゃったよ

 

 

 


 

・バッハのオルガン曲『目覚めよ、と呼ぶ声が聴こえ』/高木リィラ

広島・天行院<ヒーリング・ライブ>20131130

https://www.youtube.com/watch?v=e436phN-ONQ

 

・Wachet auf, ruft uns die Stimme (Sleepers Awake, BWV 645); Rodney Gehrke, organ 4K HD Video

https://www.youtube.com/watch?v=WvweJ1lLcZc

 

・Jean-François Paillard / Orchestre de Chambre Jean-François Paillard Dec.1968 Bach : Choral "Wachet auf, ruft uns die Stimme" from "Cantata BWV140"

https://www.youtube.com/watch?v=O-MtepjY29A

 

 




いままさに雨に降られている

 

 

 

雨に降られていると

いまの

「いま」感がグッと強まる

 

天気のいい

おだやかな時なんかは

いまの

「いま」感は

けっこうぼんやりする

 

いま!

ここ!

なんて言いたがる

悟り追求系のひとたちには

雨って

やっぱり

人気があるアイテム

かしらん?

 

雨を入れるのが好きだった

黒澤明とか

小津安二郎の『浮草』とか

ああ

そういえば

タルコフスキーなんかも

雨どころか

水溜まりとか

髪を洗う水の滴りとか

好きだったよねえ

 

やっぱり

「いま」感を

強めたかったの

かしらん?

 

なんて

よけいなこと

考えるのも

いい加減にして

いまの

「いま」感

グッと強まらせます

 

雨に降られているから

 

いま

まさに

雨に降られているんだから