2016年2月29日月曜日

遠い目 巨大な目



群れた蟻たちが
頭を小突きあわせて
右往左往しているのも
蛾たちが翅をぶつけながら
夏の燈にいっぱい集まっているのも
仲互いとは見えまい
本当に重大な分裂とは見えまい
それで多数が
喰いちぎられて死んでも
燈に焼かれても
燈の下に落ちて蜥蜴に喰われても

人間社会の渦も混乱も
国家の衝突も
文明や民族の興亡も
そのように眺めている遠い目が
巨大な目がある


結局はなにも


偶像はことごとく滅びる。
イザヤ書


結局はなにも
譲り受けたものも
苦労して手に入れたものも
自分で拵えたものも

持ち続けていつまでも
どこまでも
進んで行くことなどできないのだと
本当に
どうしようもなく
できないのだと
徹底して悟らさられていく

それでも
生きているかぎり
風景があり
空があり
森も林もあり
山も川も
海もあって
それらは見え
匂いがし
音が聞こえ
暖かさや冷たさがあり
触わり心地がある



2016年2月28日日曜日

一場のお楽しみ

  
他人の価値観はゴミに過ぎないのだと
わかっていない人が多過ぎる
自分の価値観や美意識が
すぐ隣りの人にとってさえ
ゴミどころか
腐臭を放つ汚染源でしかないと
わかっていない人が

わたくしにとっては
しかし
少なくとも
どれも一場のお楽しみ
これも楽しいし
あれも楽しい
ずいぶん楽しませてもらい続けで
この人から
あの人へ
あの人から
さらにむこうの人へ
グラスを揺らしながら移り

そうして
結局
だれのところにも戻ってこないけれど
楽しませてもらったことは
けっして忘れない
あんな人がいて
あんなことを大事にしていて
あんな美意識を気取っていてね
と夜話にしたりするのも
また楽しみのうち



暗く暗く底を流れる河の景色を



もう花をつけた桜もある
けれど
河沿いの桜並木の蕾は
まだまだ
早春なのに
こんなに固い蕾で
大丈夫なのかと
思うくらい

河は暗く流れて
夕べの早春の景色の一部をなし
うすら寒い
人を不安な気分にする
夕べの暗がりの
雰囲気の底に横たわっている

春が来る
春が来たと
人は期待したり
嬉しがったりするが
こんなうすら寒い
暗がりの底に流れる河を見ながらも
盛りの春の心であり得なければ
老い続け
衰え続けていく人たちに
心の早春さえ
来なくなってしまうだろう

このうすら寒さ
この夕べの暗がり
暗く暗く底を流れる河の景色を
このまま嬉しく見られるのでなければ
あす明後日
数か月後
一年後
数年後の明るさは
心には来ない

いよいよ来なくなる



見るに心の澄むものは


しかし世の中は小癪になりましたネエ
幸田露伴『望樹記』



本当のことを言おうか
たまには
冗談めかしたもの言いでなく

老いも若きも
日々
古典を読み続けていない者は愚かであり
ともに語るには値しないし
時を共にするにも値しない

古典を読み続ける者なら
愚にもつかない人生論を偉そうに言いもしないし
価値というもののそもそもの不可能性や不条理さもわかり切ってい
仰々しい見栄っ張りもしない
かといって
窶し過ぎもしない

侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し
とは
千利休

見るに心の澄むものは
社毀れて禰宜もなく 祝(はふり)なき
野中の堂のまた破れたる
子産まぬ式部の老いの果て
とは
『梁塵秘抄』

もちろん
衰えてばかり行け
というのでは
ない
起こるべきことに
こそ
道を開け
ということで…

大貴族の裔にして
ついに子を持たなかった
持ち得なかった
歌人
富小路禎子の歌うように

花毎に黒蝶何か告げてをり薔薇園に小さき乱おこるべし




床屋や商店のそこかしこで


         高く心を悟りて俗に帰るべし。
服部土芳『三冊子』


政治にも世の中にも裏の裏の裏があり
そのまた裏の裏の裏があって
まだまだ裏の裏の裏があるのだから
本当のことがわかりかけるのは
たぶん数百年も経った後
だから現在のニュースを追う必要はないし
話したり分析したりしたくてたまらない人たちと
ちょっと床屋談義でもしてくれば十分

そういえば喜劇作家のモリエールは
よく床屋で人々の話を聞いていたっていう
ふつうの人たちがしゃべる話にこそ
人間というのは露わになるものだし
それらこそが世界の誰もが興味を持つ部分
人間を知りたい場合にも
人間を惹きつけたい場合にも
床屋や商店のそこかしこでしゃべられる
喜怒哀楽のごたごたをこそ
聞いたり使ったり組み合わせたりしなければ




あっけらかん少年の頭のなか



むずかしい表現をするのは簡単だから
それだけはなるべく避けようとする
物語めいたことを書くのも
生活雑記をダダダダダと書くのも
まるで方途を失った老人詩人のようになるから
それもなるべく避けようとする

そうすると並べられていく言葉は
ポカンと口を開いて
なにも考えていないような
あっけらかん少年の頭のなかの
間の抜けた粗雑な思いの
置き石のようになるけれど

じつは置き石のあいだの
空いたところのあっちこっちに
人は思い思いの自分の石を置いたり
大事だったものの幻影や
空(くう)なんかさえ置いたりするのだから
よっぽど好都合ってことになるわけさ