江戸時代後期の歌人
大隈言道の『こぞのちり』に
こうある
人はよくもいへあしくもいへ、
うけひきがたし。
ただ己に恥づ
「人」という世間や世評を捨て
「ただ己に恥づ」
という
行動基準の拠点づくりに至るのは
日本の精神性の典型といえる
精神拠点として
仏教や儒教や神道を
さらには
それらの混合実験から凝縮された武士道を
用いる者たちも
日本には多かったが
大隈言道は
「己」だけを基準としているところに
日本精神の
最終地点を体現している
とはいえ
「恥づ」という確認体制を用いているところに
脆弱さをわたしは見る
あらゆる「恥」は
内化された「世間」を基盤とするゆえ
捨て去るべきである
「世間」は悪であり
それをベースとして生まれた評価基準は
すべて「悪」でしかない
「ただ己に恥づ」
と言わず
「ただ、瞬間瞬間にふさわしく動く」
とでも言っておけば
よかっただろう
ところで
明治時代に入ってからの
明治天皇の短歌
目に見えぬ神にむかひてはぢざるは人の心のまことなりけり
などを読むと
大隈言道の精神のありかの
継承を感じる
「恥」とか
「はぢ」などは
もっと軽く受け取って
気分の少しでもいいほうへ内部を向かわすための
観測装置としていた
と思っておけばいいのかもしれない
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