2017年10月3日火曜日

『シルヴィ、から』 30

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十七声 アリアを含む) 4

   (承前)

 ニューフォレストはまさに見渡すかぎりの野原だった。
多くの起伏があった。
乾いた土の剥き出した丘の連なりが主で、ごく稀に平らな土地が広がっていた。背の低い木々がところどころに生えており、芝生のような濃い緑の草が到るところに固まって伸びていた。やや離れたところに町が望まれた。
 昼食として配られたサンドイッチを食べ終えると、もう、なにもすることがなかった。サンドイッチを食べるために腰を下した石の上に座ったまま、わたしはあたりを見回していた。
青い空に浮いた暖かげな雲が心を和ませた。足元には、葉先の硬い小さな緑の草が陽気な口紅のような色の赤い花を付けており、赤としてはいくぶんしどけないたぐいのその色合いが、わたしの前に盛り上がった低い丘の頂近くまで伸び広がっていた。
わたしが座っていたのは、三方をこうした低い丘に囲まれた盆地のようなところで、ことに緑の多く集まったところ、また、それゆえに赤い小さな花々も故意に搔き集められたように密集しているところだった。
こういう場所であるために、座っているわたしのところからは遠くの町や人々の動きはほとんど見えなかったが、ここに下りてくる前にあらかじめそうした景色を掴んでしまっているので、足元の草に見入ったりしながらも、丘の向こうのなにもかもが同時に見えているように感じていた。
三つの丘を山とすれば、ここは谷だった。その谷に山々から緑が流れ込み、青草の湖ができていた。湖の中の小島に腰を下して、わたしは緑の水の中に足をつけて水を掻き廻したり、水面を足裏で、水鳥が着水する瞬間のような具合に撫でたりしているのだった。
ふと、目の前の山の上に人影を感じて、わたしは視線を投げた。
シルヴィと数人の娘たちが山の上にいた。
わたしは視線をふたたび足元に落とした。
声を上げてシルヴィを呼ぶこともできただろうが、わたしはその時、ふいに妙に憶病になった。
彼女がわたしの声に軽く微笑む程度で通り過ぎてしまうかもしれないと思うと、声をかけるなどということは恐ろしくてできなかった。
向こうからわたしのほうへ下りてきてくれないだろうか。
「ひとりなの?」とでも訪ねに来てくれないだろうか。
ひょっとしたら来てくれるかもしれない。
…いや、やはり、来てはくれないだろう。
わたしは、彼女にとってはただの新しい知り合いのひとり、それも、あと数日すれば二度と会うことのない外国人のひとりに過ぎないのだから。

……ほら、行ってしまった。
まるで、わたしに気づきさえしなかったかのように、無造作に方向を転じてしまった。
せめて離れていくシルヴィをよく見ておこう。
わたしはいつもこうなのだ、手に入らないものを、せめて見るだけは見ておこうとするのだ。
わたしは、……いや、シルヴィは、今、左手にサンダルと包みを持っている。そうして、裸足であの丘の上を歩いている。自分の肌でじかに草の刺激を、土の乾きを知るのが好きな娘なのだ。
今日の彼女は真新しいジーンズを穿いている。裾を脛の半ばまで捲り上げている。
今踏み出した左足の線の流れが伸びて腰を描き、彼女の体を遡る。黒に近い濃紺のシャツのところどころにゆるやかに大きく皺が寄る。と、見る間に、風がそれを盗み去る。流れ落ちる腕。右手首にわだかまる青い腕輪と腕時計、細い胴まわり。脱いだ白いカーディガンの袖を胸のところで軽く結び、背後へと流している。よく見えないが、ハマナスの花さながら媚びるように赤い、いろいろと模様のついている長いスカーフが、カーディガンの袖の結び目の上に垂れている。掻き上げて後ろに取りまとめた金髪が、今日はこの快晴の下で冠のように輝く。ほどけた髪を風が薄赤い頬に流す。

……行ってしまった。
丘の向こう側になにか興味を惹かれるようなものがあったのだろうか。
それとも、わたしを避けるために向こうへ行ったのか。
わたしの心は煮え切らない。
もうそろそろ、わたしなりの結論を出さなければならない。
わたしにとってシルヴィとはなんなのだろう。
シルヴィをどういう関係に置きたいのだろう。
7月24日に合宿所へ来て、25日に初めてシルヴィに出会い、26日には、……彼女の辞書にサインをして、27日には、彼女をスケッチするために長い時間をいっしょに過ごして、……この両日を通じて、彼女はわたしをいくらか特別に扱ってくれたように感じられた。
だが、28日、昨日、ベンチに彼女がいるのを見つけて隣りに座ると、……彼女は行ってしまった。
あれはどういうことなのだろう。
わたしといるのが嫌だったのか、それとも、わたしであれ誰であれ、あの時には近づかないでもらいたかったのか。
……そして、今日だ、たった今のことだ。
彼女は行ってしまった。
わたしに気づかなかったのかもしれないが、しかし、結局は同じことではないか?
わたしに気づくほどの関心はないということだ。
彼女は行ってしまった。
彼女はわたしのことをなんとも思っていないのだ。
……なんとも思っていない?
本当だろうか?
他のあらゆるわたしの友人たちのように、あるいはこの国の青年たちのように、わたしもまた彼女にとって何者でもないのだろうか。
せめてわたしを憎みでもしてくれれば。
いや、憎まれ嫌われるよりは、なんとも思われないほうがやはりいいのかもしれない。
だが、本当にそうだろうか。
どうにか彼女にとって特別なものになれないだろうか。
しかし、どうして特別なものになりたいのだろう?
好きなのか?
シルヴィを?
……好き、か。
どういうことだろう、これは?
町の雑踏の中でふと見かけた少女に心を惹かれたりする時より以上の、確かな本当の感情だろうか?
しかし、好きになってどうするのだろう。
好きだと彼女に告白したいのか?
彼女の肌に触れて、その存在を確かめたいとでも言うのだろうか?
それとも、一生いっしょにいたい、などと望むのか?
わたしはどうしたらいいのだろう?
どれが本当のわたしだろう?
わたしはどのわたしであるべきなのか?
シルヴィを好いているのか、いないのか。
シルヴィは好いてくれるのか、くれないのか。
もしシルヴィが少しでもわたしを好いてくれるのならば、あゝ、その兆しが、少しでもいい、確かにそれとわかるものが掴めるならば、もしそうなれば、わたしは本当にシルヴィを好きになることができるだろう。今のように好意を心の中で押し殺す必要はなくなるだろう。だが、……なんと情けない心か、好いてもらえる確信を抱けないうちは、こちらからは安心して好きになれないなどとは。
臆病者なのだな、片恋に耐えられないから、あらかじめ踏み入るのを避けるのだな。だから、いろいろな理屈を捏ね上げるのだ。あれこれ考えて、好きになるなど下らないことだと自分に思わせようとするのだ。
好きになる、友だちになる、あわよくば恋人になろうとする、そして…… 
そして?
いったい、わたしはなにを望んでいるのか?
どうして、シルヴィを好きになどなるのか?
数日前からわたしを縛り出したこの心の痙攣、右へ左へと行きまどう振り子のような機械的なまでのこの眩暈はいったいなんなのか。
どういう理由でわたしはこの娘に縛られねばならないのか。
なぜシルヴィでなければならないのか?
これは一時の浮かれた心のせいなのか?
それとも、物語にあるような宿命的な出会いかなにかででもあるのだろうか。
偶然だろうか、必然だろうか?
必然ならば、シルヴィを求めるべきか?
偶然だとわかれば、すべてはどうでもいいのだろうか?
これは恋愛のはじまりなのか?
とすれば、どうして恋ひとつするのにこうも悩まねばならないのか?
もう、どうでもいいじゃないか?
いや、どうでもよくはない。
残りはあと四日ほどだ。八月二日の朝にわたしたちは合宿所を去るだろう。それまでの間に決着をつけねばならない。
決着をつける、ーーシルヴィを好きになるか、ならないかを決めるということ。
そしてまた、シルヴィがわたしを好いてくれるか、くれないか、シルヴィがわたしにとってなにか意味のある者であるのか、ないのか、これが偶然なのか必然なのか、わたしがなにを望んでいるのか、どうしてシルヴィに悩まされるのか、……あと四日。
最後の出発の日を除けば、実質的にはあと三日だ。
どうなろうとかまわない。
この悩みから解放されさえすれば。
どうにか事が落ち着けば。
シルヴィを好きになると決めるか、決めないか。
それさえはっきりと決まってしまえば。

ーー時間だ。これで今日が終わるわけではない。午後の一時をまわったばかりだ。
これからわたしたちは、少し離れたウインチェスターへと向かうだろう。


(第十七声 終わり)




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