2018年3月31日土曜日

あらゆるアイデンティティーの自主的破壊・変容

  

AI監視カメラで捕捉され得ない顔面変容法の販売は、すでに
わが社では一定の顧客を獲得しており、
今後も販売高の維持に努めるのはもちろんだが
さらに簡便で確実、すみやかな方法を開発中である

現在、価格がもっとも安価なことから
目、鼻、口の位置関係を変容させるマスクの売行きがよいが
このマスクの効果に加え、頬骨の様相や顎、額の形状も変容させうる
ワンランク上のマスクも徐々に売れ行きを伸ばしてきている
いずれのマスクも、薄く、生き生きとした肉感があり
人間の顔そのものと見えるので、装着したまま外出しても違和感がない
たとえばマスク上の目は、実際の目と違った位置についているが
実際の目の動きと確実に連動していて、外界の映像も
現実以上に、リアルに目に伝えるようにできている
そのため、マスクを付けたままで生活するのを選ぶ顧客もいるほどだ

いずれも、AIの識別の不得意点についての弛まざる研究の成果で
それができるのも、全世界のAI開発の最先端の技術者たちの
全面的な協力が得られているためである
AI開発者たちは、実は、なによりも管理社会への嫌悪感が激しく
自分たちが開発するシステムや運用形態のなかに
大がかりに弱点や自己破壊機能を埋め込んでいるのが常なのだ

現在開発を急いでいる技術では、顔の筋肉や脂肪や骨組成自体を
瞬時に安全に変容させることのできるもので、
これが完全にできあがれば、顔をアイデンティティーとする
旧弊な時代が人類から一掃されることになる
どのような顔も得られ、一瞬一瞬取り換え続けることが可能で、
これは、多大の経費をかけて世界中に設置された監視カメラなどを
数年以内に無効化し、膨大なゴミの山にしてしまう能力を持っている

もちろん、あらゆるアイデンティティーの自主的破壊・変容が
顧客の意思の通りにできるようになる技術を提供するわが社にあっては
すでに販売を始めている携帯型指紋変容レーザーもさることながら
血液型変容、細胞変容をはじめとして、記憶や使用言語や
感情傾向や思考様式の変容も可能にする薬剤の開発も進めている
錠剤での販売からはじめる予定ではあるが、効果を速めるため
吸引方式や注射方式も同時に検討中であり、
さらには、ケーブル接続不要の充電器のように、
身体内への物理的な入れ込みの不要な方式を研究中である
身体の細胞が原子でできているのは当然だが、ならば、
高度に電子的な方法でなら、身体と精神の変容は起こし得るからである



経験や学習の必要性の廃棄

 

はじめは慣れなかったが、
うちのマンションでは、たとえばトイレのドアの裏に
うっすらと日時が浮き上がる
年月日、そして時間
それらが数字で浮き上がる

冷蔵庫の表面や廊下の壁などにも
おなじものが浮き上がる

望めば、現在の戸外の天候や
外と中の温度差まで浮き上がってくる
そればかりか、一週間や一か月のカレンダーも
思いに応じて浮き上がってくる

家の中にいて、いろいろなことをしていても
今日の日付を確認したくなったり
週や月の中での時間的現在位置を知りたくなったりする
そういう時に、じゃまにならないところに
見やすく、最低限の情報が浮き上がってくる

この表示をコントロールするのに慣れてからは
夕暮れの室内で、明かりを灯さずに
紫やピンクやオレンジやイエローなど、色をどんどん変えながら
空中に日時表示を浮き上がらせるのを楽しんだり
もう就寝した後の深夜、ふと目が覚めた時など
気まぐれに、闇の中に、今の戸外の温度や風速などを
浮き上がらせたりするようになった

こうした設備のおかげで、時計もカレンダーも
スケジュール手帳さえも、家の中では要らなくなってしまったが
ひとつ問題なのは、古いやり方に馴染んできた脳は
時々、それら古い仕様の物品を見つめたり
手に取ってみたく思う時があることだ

外出する際に、手帳やスマホさえ持ち出さないことも
自然に多くなっていった
それらは、外では必要なのだが
家の中ですっかり不要になってしまった感触のまま外出するので
携帯するのを、意識の深いところで忘れてしまっている

もうしばらくすれば、戸外でも、
本当に、手帳やスマホは不要になることだろう
手の甲や手のひら上にスケジュールを浮き上がらせる技術は
もう、あたり前のものになっているし
ノートの白紙やバッグの表面に浮き上がらせることもできるし
それどころか、目の前の空中に浮き上がらせる技術も
すでに、ほぼ完成段階にある

もちろん、わたしたちが進行中のプロジェクトは
そのようなレベルをさらに超えている
誰であれ、その人の思いの中に、
必要な情報が、つねに、瞬時に明瞭に浮かび上がるテクノロジーであり
これは、記憶の再生の鮮明化などというレベルを超えたもので
学習も経験もしていない情報を、望みのまま、
見やすく、わかりやすく、利用しやすいかたちで現前させるものだ

これは、たとえば、誰も行ったことのない冥王星の
極点の一部区域の深度2000mの土壌分析や
その地域の立体的な視覚映像などでも、もし望めば、誰であれ、
意識の中に一瞬に立ち上げられるということを意味する
土壌分析表を意識内にそのように見たところで
ふつうなら、それを利用する際には学識が必要とされるが、
いかなる種類の学識も経験も、望めば、意識内にすぐに得られるので
そこの土壌からどのような金属が抽出でき、それを使って
どのような道具がどのように作れるかなども、すぐにわかる

わたしたちが突破しようとしているのは、いわば、
経験や学習の必要性の廃棄ということになるのかもしれない
なにかをするために、従来の人類は
しばしば、多大の時間と手間をかけて、準備段階を
通過しなければならなかったが
そうした地上体験の基本構造を変貌させるプロジェクトを
わたしたちは進行させているところだ



2018年3月30日金曜日

彼の視野には入らなかった

 

本棚の奥にあったリーヴル・ド・ポッシュ版のランボー詩集は

…お?
誰の校訂版かな?
あゝ…、ピエール・ブリュネルのね*

誰のでもいい

ぱらぱら
めくる

最初のほうに書簡からの抜粋を出しているとこが
ちょっと
変った編集だね

ふつう
後のほうに書簡って
載っけてたりする
あまり見なかったりするわけ

ぱらぱら
ぱらぱら

…お?

ロンドンからのヴェルレーヌ宛、1873年
有名な手紙

「戻って来て!戻ってきて!戻って来て!
「いい子にするって約束するからさ**
だって

熱愛の恋文みたい

年上の男ヴェルレーヌを
ほんと
愛してたんだね
熱愛だね
こりゃ

ほんと

「戻って来て!勇気出してさ!なにも失われたわけじゃないさ!***

Rien nest perdu.****

なにも失われたわけじゃないさ!

ぼくはガルニエ版のちょっと厚手のランボー詩集を携えて
20代はじめ
東京を歩きまわっていた
松室三郎さんのマラルメ講義を聴いていた頃だ

フランス語で本気で自力で読んだのはランボーが先
ボードレールよりも
マラルメよりも
アポリネールよりも
プレヴェールよりも

ガルニエ版はもうぼろぼろだけど
まだ本棚にある

『いちばん高い塔の歌』の第四連のorietur
なかなか註が付いていなくて
いろいろな版を買い続けたものだった

このリーヴル・ド・ポッシュ版
3.05ユーロだ
安いから買っておいたんだったかな
薄いし
ランボーとかは
薄いのがいちばん
ぶ厚い研究書みたいになっちゃったランボーの本って
どうかと思う

いま
ぱらぱらすると
ランボー
やっぱり若かったんだな
と思う
ことばが若い一文の長さが若い改行が若い持ってくるイメージが若

でも
「かつては、ぼくの生活、宴だったんだぜ。記憶に間違いがなければね。
「こころというこころはすべて開き
「酒酒酒が流れ出てたもんだ。*****
この冒頭。
『地獄の季節』の。
よく書いたよな
20にもならないやつが

出口裕弘さんがロートレアモンの話をするのを聞いた時
出口さんはランボーやロートレアモン
大好きで
再三再四熟読翫味し続けたが
友だちの澁澤龍彦にはぜんぜんピンとこなかったらしい
って聞いた
あれ、どこが面白いの?
っていうのが
澁澤龍彦のランボー評だったらしい

面白いなァ
って
思ったね

ランボーに
生涯
ピンと来なかった澁澤龍彦
って

あの
澁澤龍彦が

出口さんは1945年旧制浦和高等学校入学
澁澤龍彦も1945年旧制浦和高等学校入学
だから
同窓生で同学年
だから
友だちだったんだね
ほんとに

ふたりとも理系コースだった

出口さんは東日暮里に生まれ
澁澤龍彦は滝野川に育った******
あのあたり
よく知っていて
共有する感覚もあったわけだ

澁澤龍彦は
澁澤さん
とは呼べない
いちど
なにかの個展で
近くに居あわせて
これが澁澤龍彦
と見つめたことがあるだけ

話はしなかった
握手もしなかった
彼の視野には入らなかった

だから
澁澤龍彦
と呼ぶ




*Arthur Rimbaud : Une saison en enfer, Illuminations et autres textes(1873-1875), Le livre de poche classique, éd.Pierre Brunel, 1998.
**ibid.,p.35.
*** ibid.,p.35.
**** ibid.,p.35.
***** ibid.,p.47.
******澁澤龍彦『私の戦後追想』(河出文庫、2012)




ね?


 
…意識的すぎる人は
…なんかネ
…めんどくさソ

…でも
…意識が行き渡らない人って
…むかつク
…ひどい時は
…きもわル

…………………あ。

ツグミ?

メジロかなァ?

ツグミだよね?

ね?



ジル・バーバーが歌うジャタンドレJ’attendrai(待ちましょう)*が


ようやくヴィリエ・ド・リラダンの作品集を読み終えると
黒川ヨッシーニ氏は
地区Bへ行ってみる気になったものの
ヨッシーニ氏の住む地区Gからは
急いでも6年ほどかかる地区なので
ロドロ亭のパンを
いくらひさしぶりにたっぷり食べてみたくなったからといって
年もかけるのはどうかと悩んでしまった

とはいえ
もう靴の紐も結んでしまっているし
いくら大好きとはいえ
やはりリラダンの作品群をあらためて熟読してみると
理解に手古摺るところもあって
いつのまにか3年半は音もなく過ぎ去っていたのであるから
とにかく少しでも戸外に
それも
どこか他の地区あたりまで足を伸ばして
などという気になったのであった

などと
などと
黒川瑠璃子はワープロで記し続けてみて
お兄ちゃん
好夫兄ちゃんを思い出し
ヨッシーニ
などとイタリア人っぽく呼び替えてみる自分をちょっと哀れにも思
指を止めてちょっと立ち
廊下の涼しいところに置いてあるラデュレのマカロン*の箱から
柚子味のひとつを摘んだ

同じ街に住んでいながら
行こうとすれば6年もかかる地区があるのは面白いし
そんな世界にお兄ちゃんの好夫改めヨッシーニが生きているのは
じっくり想像しようとするとウキウキしてくる感じだった

瑠璃子の頭にはすぐに続けて
地区Gから地区Bに行くまでの間に
ふつうの行き方をしようとすればどうしても
戦乱地域を横断しなければならないという話が浮かんできて
こちらの話のほうが頭も心もワクワクさせるようだった
これはひとつ
つぶさに想像を広げて
書かなきゃいけないかもな
と瑠璃子は思った

《《《★ あたし、小説書いちゃおうかな ★》》》

そう瑠璃子は考え
ちょっと
気まぐれにスマホを手にとってみたら
来ていたメールのひとつに
Youtubeのオススメ動画があって
それを開くと
ジル・バーバーが歌うジャタンドレJattendrai待ちましょう)**
流れてきた


**Jill Barber : Jattendrai  https://www.youtube.com/watch?v=86222qXgNKI



曾田ネ


 
しかし、まァ
どこまでも
続く桜だことねェ

おっ、混んでるな、トイレ

簡易トイレだろ
あんなに設置してるのに
やっぱ
すごい列に
なっちゃうんだよな

あら、並んじゃってるわァ
藤田さん、あたし並んどくから
吉田さん探してきてよ

しかし、まァ
どこまでも

パパァ、ゴミ

でも今日のあれさ、会議の

よく撮れましたか?

LEDでしょ、これ?
意外と冷たくないわよね、光

改良されてきたんじゃないの?

続く桜だことねェ

ここあたり撮影スポットになっております
お撮りになりましたら
後ろの方に場所をお譲りください

こりゃあ綺麗だなァ
すごいやね
ほんとすごいな、ここ

あ、
あっちも

ライトアップしてなきゃ
でも
これって
暗いだけだよね

だいぶ散ってきたよね
土日までは
もたないかな

友だちがどうのこうのって
今の外人
しゃべってたけど
どこの人も
どうでもいいことしゃべってるよね
花見しながら
話すことってそんなものかな

そりゃあ
哲学論なんかあまりしないでしょ
ふつう

うわぁ、すごい奥行きだなぁ
このあたり
桜がいっぱい重なっていて
豪華だよなぁ

あのまま放っておくわけにもいかないじゃない?
だからさ、変えたわけよ
場所を
そしたら

陸橋昇ってく?
ここから行っちゃったほうがいいみたい

そうね

そだねー

けっこう
ビミョーに難しんだよね
ソダネー感
出すの
って

ソーダネー
とか
ちょっとのばしちゃってる人
いるでしょ?
それだと
ふつうじゃん?

曾田さんだな
曾田さんねェ
って
いう時の
「あゝ、曾田ネ」の
曾田ネ
ぐらいの間隔でゆうんだよね

「ソーダ水」みたいに
のびちゃ
ダメなんだよ

ソーダ
じゃなくって
ソダ

曾田ネ

ソーダ水の俳句
あったよね

誰のだっけ?

一生の楽しきころのソーダ水

富安風生の

そう
それ、それ

桜より
ソーダ水のほうが
効くんだな

曾田ネ

ソーダ水、なんだよ

一生の
楽しきころの

ソーダ水

曾田ネ

ソダヨォ

ソダカ?

ソダ
ソダ



2018年3月28日水曜日

わたしわたしわたしわたし…

  
けっきょく
わたしはわたしのことばかり語っている

よくもまァ
わたしわたしわたしわたし…と
飽きもせず
語り続けられるものだ

どこまで行っても
どれだけ語り続けても
watasiという音でしかなく
わ・た・しという文字の並びでしかない
というのに

そこから逃げようとして
風景の描写を始めたり
抽象的な概念を弄び始めたところで
それらのどこにも
やっぱり
watasiという音がべったり帯びているもの
わ・た・しという文字の並びにぐっちょり塗れているものが
じゅくじゅく
たっぷり
染み込んでしまっている



またもや新たに

 
なにを思おうと
言おうと
ありきたりの
あたり前のことばかりを
思うほかなく
言うほかなく
うんざりしてしまう
情けなくなってしまう

たとえば
わたくしは今
なんとモノに溢れかえった中にいてしまっているのだろう
と慨嘆しようとしているのだが

モノとはもちろん
いつか誰か他人が拵えたものであり
その場合は
そのモノを拵えた人が
じぶんの想念にあわせてモノを構成していったのであり

となれば
モノに囲まれているということは
拵えた人の想念に囲まれているということであり

もちろん
想念がそのままスムーズに物質化されたわけではなかろうから
スムーズにいかなかった部分もたくさんモノには含まれ
事故や不満や不完全さや
よきものとしての偶然さえもが
モノには溶け込んでしまっているはずで

そればかりか
ちょっと古いモノの場合は
たいていは
拵えた人たちは死んでしまっていたりもするので
ようするに
死者たちの想念に取り巻かれているということになり
図書館のたくさんの本が
死者たちの墓碑であるように
わたくしは
あまりといえばあまりにもたくさんの
墓碑の中に埋もれて
埋もれたまま
じぶんは生きている
などと
漠然と思いながら
わたくしを
続けていることになるのだが…

このようなことも
ありきたりの
あたり前のこと

死者たちの想念に取り巻かれ
それらに埋もれて
生きている
などと
思うほかなく
言うほかないことに

またもや新たに
うんざりしてしまう
情けなくなってしまう

またもや新たに

またもや新たに



2018年3月27日火曜日

汝自身を手玉に取れ



まじめ過ぎれば
自我にとらわれてしまう

自我の網にかかって
支離滅裂に
最高度の怠惰に
陥っていくこともある

自我を手玉に取れ
わたしなら
教える

汝自身を手玉に取れ



もう心のヴァカンス

 
わたしほど
世の中に不用な者もいなければ
無芸
無才
ぼんくらで
馬鹿さ加減なら何十乗
きたもんだから

これでもかというほど
それが
よく
わかってるもんだから

たゞ
今日はいいお天気だというだけで
うれしくなっちゃう

たゞ
桜が咲いたというだけで
うきうきしちゃう

たゞ
おいしいお菓子を戴いたというだけで
もう心のヴァカンス



来る如し


 
場所に憑く霊のようなものかもしれない
とわたしはわたしのことを思う
よく思う

だれでも馴染んだ場所のことは思い出すものと思う
懐かしく思い出すものと思う
せつなく思い出すものと思う

わたしも同じようなものだと
言えば言えるが
それは
なんであれ大げさに語らないように強いられる他人行儀の時のこと
他人からいったん離れれば
ちょっと大げさ
ついこの前まで住んでいた場所や家や周囲のあれこれに執し
くりかえしくりかえしくりかえし
飽きもせず思い出し
心の中に何ヴァージョンも撮り置いた映像を
ためつすがめつ見直してみる

ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所のさらに前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所のさらに前に住んでいた場所の
さらにさらに前に住んでいた場所や
(わずらわしくなるので以下省略…)
などなどの
いちいちのものについて何ヴァージョンも撮り置いた心の中の映像
ためつすがめつ見直してみる

あゝ
(…と、感情を起動させやすい二文字を此処に置いたりして…)
ただこうするだけで
わたしは今回の生を過ごしてきた

なにもしなかったし
なんの夢も目的も持たなかった
だからゴールも到達もなかったし
達成もなかった

ごく最近になって気づいたのだが
わたしにはほんとうに
夢も目的も計画も抱負も方針も業績もなかった
それらナシで生きられることを期せずして証明してしまったらしい
それらナシで生きのびてきた結果
不満が残るとか
さびしいとか
わびしいとか
そんな気分にもならないのも証明してしまったらしい

わかってもらえないだろうな

わかってもらえなくてもかまわない

現代にも
にっぽんにも
ほとんど属していないわたしだから

この時空のいちばんはずれの
皮膜
境界線そのもの
言語使用法ばかりか思考感情さえ誰とも共有しない
わたしだから

(まァ、大げさな…

ヴィヴェーカナンダとかラーマクリシュナになら
わかってもらえるかな?

わかってもらえなくてもかまわない

べつの如来だから
わたし

如来
来る如し

つまり
来ないもの

「スプーティーよ
「如来と言われるものは
「どこへも去らないし
「どこからも来ない
「それだからこそ
「如来であり…*

あゝゝ、言っちゃった…



*中村元・紀野一義訳による『金剛般若経』を若干変えて引用。