2022年2月6日日曜日

ほぼ無人の銀座で


 

生きがいとか

生きている意味とか

かかわると

すぐに不正確な思いの谷に落ち込んでいきかねない

それら

粗い判断のゲームからは

もちろんいつも距離をとっていたい

 

とはいえ

ある種の時間体験や空間体験をしたのはよかった

と思え

それらあってこその生のたのしみ

と感じられるものはある

ひとはそれらを

生きがいとか

生きている意味とか

粗くまとめたがるのだろうけれど

やっぱり

どこまでも

そうした粗いまとめには

距離をとりつつ・・・

 

ただ

わたしの場合には

そうした

“生きがい”とか

“生きている意味”とかは

他人から離れ

他人と連絡もたえて

たったひとりで空間と時間のなかに置かれた時しか

発生してこない

それらをさらに粗く“幸福”と呼んでみるならば

それらの発生にあたっては

なにより孤絶することが絶対条件で

誰かが近くにいるとか

いっしょに集まってテーブルを囲んでいるとか

もうそれだけで

根本から“幸福”は覆されてしまう

 

そういうわたしにとって

この2年ほどのねつ造ウイルス騒ぎが

どれほどうれしく

素晴らしいものだったか

言うまでもないのだが

もう一度

いや

一度といわず二度三度

念を押して確認しておきたい

 

2020年の最初の頃の緊急事態宣言の

ほぼ

無人の銀座で

丸の内で

八重洲で

信号など気にする必要もなく

道路のど真ん中で寝転がっても心配のなかったあの光景こそ

この世で永続してもらいたいものだった

あれほどの“幸福”と

満ち足りた思いを味わったことは

ただの一度もなかった





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