すてきなことはみんないつか終わるもの
村上春樹 『スプートニクの恋人』
祖父母の大きな家に住み続けた叔父が
その家をゴミ屋敷化して
昨年死んだ
死んだあと
遺品整理ということで
わたしも
ひさしぶりに中に踏み込んだ
人間嫌いが昂じた叔父は
生きているあいだ
人が中に入るのを許さなくなったので
母も叔母たちも
中に踏み込むのは数年ぶりだった
わたしなど
四十年ぶりに入り込んだ
家のなかのあまりの凄まじさは
今後もたびたび
なにかを書く際のネタにしたく思うほどで
小出しに
小出しに
使っていこうと思っている
いろいろな経験をしてきて
いろいろなものを
とりわけ
みにくいものをたくさん見てきたわたしは
たいていのことには
驚く
ということが
もう
まったく
ない
ゴミ屋敷化した祖父母の家の中も
感心こそすれ
驚きはしなかった
ただ
意外なところで
ひとつ
けっこう気持ちを動かされたのは
あんな大きな家なのに
祖母がいつも立っていたキッチンのシンクが
じつは
ずいぶん小さいことだった
7年おきぐらいに引越しを続けてきたわたしは
いろいろなところに住んできたが
このところ三回ほど住んだ場所のシンクは
祖父母の家のシンクより大きかった
大家族だったというのに
祖父母のキッチンのシンクは
60センチか50センチしか横幅がないのではないのか
こんな小さなところで
あれだけの料理を準備していたのか
と
けっこう気持ちを動かされた
築60年ほどのその家では
キッチンと食堂はいっしょになっていて
大きなテーブルを囲んで
幼かったわたしが訪れた時など
7,8人の人間がつぎつぎ席について
朝食をとったり
夕食をとったりした
冬の寒い朝など
起きてくると
ストーブの前に立って温まりながら
祖父母や叔父や叔母たちの会話を聞きながら
わたしの入り込める席が空くのを待って
やがてチョコナンと座ると
おばあちゃんが出してくれるご飯や味噌汁を食べ始める
食べ終えた叔母たちや叔父は
バスの時刻表を見て
5分ほど行ったところにある大通りに向かい
そこからバスに乗って駅へ向かうのだ
冬の寒い朝など
食堂の重いガラス嵌め引き戸は
しっかりと閉めておくのが大事だった
廊下も縁側も寒くて
引き戸を開けていたりすると
冷気が容赦なく入り込んでくる
引き戸を閉めておきさえすれば安心で
大人数が朝食のために集まる食堂は
それだけでも暖かくて
にぎやかで
世界の中心のようだった
その空間が
家族でただひとり
結婚もせずに生き残って
住み続けた叔父が死んでみると
大きなテーブルの上に
天井まで届かんばかりに積み上げられた
ペットボトルや
食べかけの惣菜弁当のプラ容器や
なにかの箱や
いろいろな種類のゴミなどに領され
床板は
砂や土や古紙や飲み物の紙箱などで覆われて見えず
小さめのシンクにも
飲料のプラ容器ゴミやペットボトルが山を為し
かさぶたのように汚れの硬く厚く付着したガス台の上には
やはりかさぶたのように赤く汚れがついたヤカンがひとつあって
シンクの上にあるガラス小窓は黒く汚れてあかりも取れず
台所の奥の棚のどこもかしこも
よくもこれだけゴミを詰め込めたと思えるほどの
仕事!
製作!
とさえ言いたくなるほどの
堆積
蓄積
のさま
なのだった
幼いわたしにとって
そこはかつて
暖かくて
にぎやかで
世界の中心のようだった
冬の寒い朝
大人たちより遅く起きてきて
凍えるような廊下や
縁側を通って食堂にたどりつき
重いガラス嵌め引き戸を
幼い弱い腕と手と指で押し開けて
中に入り込むと
出勤を前にして大人たちが急いで朝食をとっている
わたしはストーブの前に立って
背やおしりを温めながら
なんて
暖かくて
にぎやかで
世界の中心のような
おばあちゃんの家の食堂だろう
と思いながら
席が空くのを待っている
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