2022年4月26日火曜日

なんて暖かくてにぎやかで世界の中心のような


 

すてきなことはみんないつか終わるもの

村上春樹 『スプートニクの恋人』

 

 


 

祖父母の大きな家に住み続けた叔父が

その家をゴミ屋敷化して

昨年死んだ

 

死んだあと

遺品整理ということで

わたしも

ひさしぶりに中に踏み込んだ

 

人間嫌いが昂じた叔父は

生きているあいだ

人が中に入るのを許さなくなったので

母も叔母たちも

中に踏み込むのは数年ぶりだった

わたしなど

四十年ぶりに入り込んだ

 

家のなかのあまりの凄まじさは

今後もたびたび

なにかを書く際のネタにしたく思うほどで

小出しに

小出しに

使っていこうと思っている

 

いろいろな経験をしてきて

いろいろなものを

とりわけ

みにくいものをたくさん見てきたわたしは

たいていのことには

驚く

ということが

もう

まったく

ない

 

ゴミ屋敷化した祖父母の家の中も

感心こそすれ

驚きはしなかった

 

ただ

意外なところで

ひとつ

けっこう気持ちを動かされたのは

あんな大きな家なのに

祖母がいつも立っていたキッチンのシンクが

じつは

ずいぶん小さいことだった

7年おきぐらいに引越しを続けてきたわたしは

いろいろなところに住んできたが

このところ三回ほど住んだ場所のシンクは

祖父母の家のシンクより大きかった

大家族だったというのに

祖父母のキッチンのシンクは

60センチか50センチしか横幅がないのではないのか

こんな小さなところで

あれだけの料理を準備していたのか

けっこう気持ちを動かされた

 

60年ほどのその家では

キッチンと食堂はいっしょになっていて

大きなテーブルを囲んで

幼かったわたしが訪れた時など

78人の人間がつぎつぎ席について

朝食をとったり

夕食をとったりした

 

冬の寒い朝など

起きてくると

ストーブの前に立って温まりながら

祖父母や叔父や叔母たちの会話を聞きながら

わたしの入り込める席が空くのを待って

やがてチョコナンと座ると

おばあちゃんが出してくれるご飯や味噌汁を食べ始める

食べ終えた叔母たちや叔父は

バスの時刻表を見て

5分ほど行ったところにある大通りに向かい

そこからバスに乗って駅へ向かうのだ

 

冬の寒い朝など

食堂の重いガラス嵌め引き戸は

しっかりと閉めておくのが大事だった

廊下も縁側も寒くて

引き戸を開けていたりすると

冷気が容赦なく入り込んでくる

 

引き戸を閉めておきさえすれば安心で

大人数が朝食のために集まる食堂は

それだけでも暖かくて

にぎやかで

世界の中心のようだった

 

その空間が

家族でただひとり

結婚もせずに生き残って

住み続けた叔父が死んでみると

大きなテーブルの上に

天井まで届かんばかりに積み上げられた

ペットボトルや

食べかけの惣菜弁当のプラ容器や

なにかの箱や

いろいろな種類のゴミなどに領され

床板は

砂や土や古紙や飲み物の紙箱などで覆われて見えず

小さめのシンクにも

飲料のプラ容器ゴミやペットボトルが山を為し

かさぶたのように汚れの硬く厚く付着したガス台の上には

やはりかさぶたのように赤く汚れがついたヤカンがひとつあって

シンクの上にあるガラス小窓は黒く汚れてあかりも取れず

台所の奥の棚のどこもかしこも

よくもこれだけゴミを詰め込めたと思えるほどの

仕事!

製作!

とさえ言いたくなるほどの

堆積

蓄積

のさま

なのだった

 

幼いわたしにとって

そこはかつて

暖かくて

にぎやかで

世界の中心のようだった

 

冬の寒い朝

大人たちより遅く起きてきて

凍えるような廊下や

縁側を通って食堂にたどりつき

重いガラス嵌め引き戸を

幼い弱い腕と手と指で押し開けて

中に入り込むと

出勤を前にして大人たちが急いで朝食をとっている

わたしはストーブの前に立って

背やおしりを温めながら

なんて

暖かくて

にぎやかで

世界の中心のような

おばあちゃんの家の食堂だろう

と思いながら

席が空くのを待っている






0 件のコメント: