2022年9月7日水曜日

なんにもしていない



 

いまのところに越してきてから

ぼくは

なんにもしていない

 

むかし買った大きな書斎机を前にして

大きな椅子に座って

さあ

なにかしようかな

開け放ってある左側の窓のむこうを見ると

大手町から芝や赤坂のほうまで

展望がひらけ

東京の上の大空が見え

雲が出ていれば

見飽きない雲たちの流れが見える

 

皇居が見え

国会議事堂も見え

東京タワーも見える

 

地方から東京に来た人たちが

ホテルにでも泊って

しばらく見ていたいという風景が

ぼくの書斎からは

いつでも見えている

この風景を手に入れてからは

どこへ旅行しても

かなう風景はなくなってしまった

どこの宿も

観光地も

自慢の景色や中庭を備えていて

どうぞご堪能ください

などと言ってくれるのだが

東京の中心部を見渡す

ぼくの住まいの景色のほうがいい

うっかり眺めはじめると

平気で小一時間見続けてしまう風景は

なかなか

そこらの観光地にはない

 

いまのところに越してきてから

ぼくは

なんにもしていない

 

ぼくがじぶんに課している仕事は

できるかぎりの情報と知に通じることと

だれにも評価されないような

微妙な美意識で織られた小説をいくつも仕上げることだが

数百を超える

それら小説の仕事だけを毎日進めながら

しかし

発表も出版もしていないので

つまり

世間的には

なんにもしていない

表現と文体研究のために自由詩形式で

こんな戯れ言を記したりはするが

なんにもしていない

 

腰をのばして入れる風呂があり

浸かりながら

濡れてもいい小さな雑誌を読んだりして

上がってきて

ベランダにキャンプ用の椅子を広げて

また

雲の流れを眺めたりする

 

もう

六年間ほど

なんにもしていない

 

朝から夜まで

数十冊の書籍を開いたり閉じたりし

夜から朝まで

メモにつぐメモ

さまざまな情景や

心理分析の描写

神秘主義的な叙述の試み

ふと寝落ちしては

つかみとった夢の断片を言語化しようと

数時間書き続けたりの毎日だが

なんにもしていない

 

言葉や思考に関わることで

なにかをした

といえるようになるのは

世界中の国際空港のブックショップに

ソフトカバーの作品が並ぶようになった時だけ

ヘミングウェイのように島を買い

もはや

世界の問題にもかかわらず

人間の追求などもせずに

思いどおりの

軽い

重い

あわく

たのしく

むなしい

じぶんだけの作品世界をつぎつぎ書いて

つぎつぎ翻訳されて売れていく

そんな場合だけ

そうならないなら

本を数冊だそうが出すまいが

同じ

国内でいっとき話にのぼっても

同じ

 

だから

ニホンゴで書く人たちのほとんどは

この六年ほど

ぼく同様

なんにもしていない

年商数億に達して

ヘミングウェイのように島を買ったとか

お城をいくつも買ったとか

そんな人たちはほとんどいない

資本主義の分解変容過程の21世紀にあって

なにかをする

というのは

どうしてもそういうことになるのだ

そういうことでしかありえない

売り上げが億単位にもならないのに

なにか書いた

なにか作った

など

まともな資本主義脳の持ち主なら

とてもいえない

 

大手町から芝や赤坂のほうまで

展望がひらけ

東京の上の大空が見える

 

皇居が見え

国会議事堂も見え

東京タワーも見える

 

今日は

嵐のかるい前触れのような雲が

後から後から

流れてきている

見飽きない

ベランダに出てみれば

東京湾のほうへ

雲たちは流れていっている

 

昨日もおとといも

本を何冊も買ったので

今日か明日には

また宅配ボックスに届くだろう

今年の書籍購入費も

やはり

百万円を越えるだろう

 

なんにもしていない

 

どこでも

いつでもそうだったが

いまのところに越してきてから

ほんとうに

ぼくは

なんにもしていない

 

嵐の接近を感じさせる

ボリュームに満ちた雲たちの流れの下で

今日

皇居の木々のみどりが

不思議なほど

生き生きと鮮やかだ







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