いまのところに越してきてから
ぼくは
なんにもしていない
むかし買った大きな書斎机を前にして
大きな椅子に座って
さあ
なにかしようかな
と
開け放ってある左側の窓のむこうを見ると
大手町から芝や赤坂のほうまで
展望がひらけ
東京の上の大空が見え
雲が出ていれば
見飽きない雲たちの流れが見える
皇居が見え
国会議事堂も見え
東京タワーも見える
地方から東京に来た人たちが
ホテルにでも泊って
しばらく見ていたいという風景が
ぼくの書斎からは
いつでも見えている
この風景を手に入れてからは
どこへ旅行しても
かなう風景はなくなってしまった
どこの宿も
観光地も
自慢の景色や中庭を備えていて
どうぞご堪能ください
などと言ってくれるのだが
東京の中心部を見渡す
ぼくの住まいの景色のほうがいい
うっかり眺めはじめると
平気で小一時間見続けてしまう風景は
なかなか
そこらの観光地にはない
いまのところに越してきてから
ぼくは
なんにもしていない
ぼくがじぶんに課している仕事は
できるかぎりの情報と知に通じることと
だれにも評価されないような
微妙な美意識で織られた小説をいくつも仕上げることだが
数百を超える
それら小説の仕事だけを毎日進めながら
しかし
発表も出版もしていないので
つまり
世間的には
なんにもしていない
表現と文体研究のために自由詩形式で
こんな戯れ言を記したりはするが
なんにもしていない
腰をのばして入れる風呂があり
浸かりながら
濡れてもいい小さな雑誌を読んだりして
上がってきて
ベランダにキャンプ用の椅子を広げて
また
雲の流れを眺めたりする
もう
六年間ほど
なんにもしていない
朝から夜まで
数十冊の書籍を開いたり閉じたりし
夜から朝まで
メモにつぐメモ
さまざまな情景や
心理分析の描写
神秘主義的な叙述の試み
ふと寝落ちしては
つかみとった夢の断片を言語化しようと
数時間書き続けたりの毎日だが
なんにもしていない
言葉や思考に関わることで
なにかをした
といえるようになるのは
世界中の国際空港のブックショップに
ソフトカバーの作品が並ぶようになった時だけ
ヘミングウェイのように島を買い
もはや
世界の問題にもかかわらず
人間の追求などもせずに
思いどおりの
軽い
重い
あわく
たのしく
むなしい
じぶんだけの作品世界をつぎつぎ書いて
つぎつぎ翻訳されて売れていく
そんな場合だけ
そうならないなら
本を数冊だそうが出すまいが
同じ
国内でいっとき話にのぼっても
同じ
だから
ニホンゴで書く人たちのほとんどは
この六年ほど
ぼく同様
なんにもしていない
年商数億に達して
ヘミングウェイのように島を買ったとか
お城をいくつも買ったとか
そんな人たちはほとんどいない
資本主義の分解変容過程の21世紀にあって
なにかをする
というのは
どうしてもそういうことになるのだ
そういうことでしかありえない
売り上げが億単位にもならないのに
なにか書いた
なにか作った
など
まともな資本主義脳の持ち主なら
とてもいえない
大手町から芝や赤坂のほうまで
展望がひらけ
東京の上の大空が見える
皇居が見え
国会議事堂も見え
東京タワーも見える
今日は
嵐のかるい前触れのような雲が
後から後から
流れてきている
見飽きない
ベランダに出てみれば
東京湾のほうへ
雲たちは流れていっている
昨日もおとといも
本を何冊も買ったので
今日か明日には
また宅配ボックスに届くだろう
今年の書籍購入費も
やはり
百万円を越えるだろう
なんにもしていない
どこでも
いつでもそうだったが
いまのところに越してきてから
ほんとうに
ぼくは
なんにもしていない
嵐の接近を感じさせる
ボリュームに満ちた雲たちの流れの下で
今日
皇居の木々のみどりが
不思議なほど
生き生きと鮮やかだ
0 件のコメント:
コメントを投稿