上野の美術館で
マチス展をやっている
東京都美術館で
マチス展をやっている
夜8時まで
金曜日はやっている
見に行った
夜6時過ぎに
上野の山に入り
上野の山の夏の夜はいいなあ
と思ったなあ
ここで戦争も殺しあいもあったし
あちこちに
けっこうな数の死体も埋まったままで
本当は不気味なはずのところなのが
現代という時代のせいで
不気味さが薄味になり過ぎてしまっているが
夜になるとちゃんと
うっすら不気味になってきて
いいなあ
やっぱりいいなあ
マチス展は
さっさとまわって
30分ぐらいで見終えてしまった
発見はない
マチスはたくさん見た
パリでさんざん見た
パリにいて飽きてくると
美術館に行く
ルーブルも
オルセーも
ポンピドゥーも
うんざりするほどくり返し行って
見直すのにうんざりしないことに毎回驚いた
マチスの大作もあちこちで見た
画集だって何冊か大きいのを持っていた
マチスはたくさん見た
マチスはさんざん見た
発見はない
やっぱりきれいだね
やっぱり思い切ってるね
やっぱり突き抜けてるね
やっぱりマチスだね
やっぱりマチスなんだよなあ
なにか言おうとすると
そんな言い方に
まとまっていってしまう
それ以上言おうとすると
分厚い評論みたいな語彙と口調で
ながながと言い続けるほかなくなる
じぶんの価値観づくりに必死の
生意気な小賢しい大学生の
議論の吹っかけあいみたいに
そんな語彙と口調で
議論を吹っかけ合える相手は
もうひとりもいない
みな死んでしまったか
音信不通になってしまった
仮に連絡をとり続けていたとしても
この国の人間なのだもの
角がとれて丸くなってしまって
まあ、いろんな考えや見方があるものさ
みんな違ってみんないい、なんてね
などと言いながら
どうだ、ほら、もう一杯
などと酒を注ぎ足す姿に
落ち着いていってしまうのだろう
やっぱりきれいだね
やっぱり思い切ってるね
やっぱり突き抜けてるね
やっぱりマチスだね
やっぱりマチスなんだよなあ
そんなしゃべりかたは
やめようや
とにもかくにも
こういうのを言葉の死といい
思考の死といい
感性と価値観の死というのだ
見終わったあと
買うわけでもないのに
ショップを
ずらずら
だらだら
見た
絵葉書とか
複製画とかはわかるが
マチスの絵を印刷したTシャツとか
トートバックとか
マグカップとか
いつもながらのこととはいえ
よくもまあ
こんなにたくさん作るよなあ
よくもまあ
買っていくもんだよなあ
Tシャツが5000円とか6000円とか
信じられないんだけど
1000円から2000円程度のTシャツしか
買わないできた人生なので
昨今の高価なTシャツっていうのが
まったく理解できない
ビアリッツからバイヨンヌにまわって
バスク語の書かれているTシャツを買った時は
ちょっと値が張ったものだが
それだって3000円以下だった
安いのに部屋の大きなホテルに泊まった
夏の祭りで明け方まで街中がうるさかった
広場に面した回廊にあるレストランで
騒がしい中でエレーヌとディナーを食べて
ちょっと映画のロケーションのようだった
アラン・ドロンがふいにわきにでも来て
『太陽がいっぱい』の世界に入り込んでも
おかしくないような特別の祝祭空間だった
なにも買うつもりもないショップなのに
香りのするものに急に惹かれた
サボン・ド・マルセイユの100グラムの
小さな包みのいろいろな種類を嗅いだ
フランスの家庭やホテルでいつも香っていた
懐かしい香りばかりの石鹸たち
松とオリーブの木の香りが
ことのほか懐かしかった
毎日毎日洗面所でこの香りがしていて
食事の前にこの石鹸で手を洗ってから
あわてて食卓に向かったりした
ピローミストやオードトワレのうち
ホワイトティーの香りも懐かしい
フランス語ではテ・ブランといい
白いお茶という意味になるのだが
どうしてそんな名前なのかしら?
いまもわからないが尋ねた家々で
この香りをさせている家もあった
高級な香水の香りではなく
ごくふつうのフランスの家庭の
主婦が好みそうな香りのひとつ
なにも買うつもりもなく
むしろ商品も購入も馬鹿にしているのに
小さな石鹸とピローミストのふたつ
Pin&Bois d’Olivierの香りの
サボン・ド・マルセイユと
Thé blancの香りのピローミストは
買っていってしまおうと決めた
使うためでなくて
机の引出しに入れておいて
たまに鼻に近づけて香りを嗅ぐために
香りという物理的な実体を
つねに手元に置いておくことで
完全に過ぎ去って宇宙的に二度と戻らない
エレーヌとともに生きたフランスの日常を
できうる限りかつ然るべく小規模なかたちで
保ち続けるために
エレーヌの姉の夫ピエール・キュッサ-ブトンは
しろうとながら家系図づくりに凝っていて
2002年にわたしの名を彼の家系図に書き入れ
ジャポネをひとり我が家の家系図に書き込めるのを
誇りに思うと言ってご満悦だった
ピエールは2011年に心臓の不具合で死んだが
あの家系図はいまも残されているだろうか?
フランス人とはいえフランス文学など読みもせず
美術にもまったく興味を示さず
音楽はかろうじて生涯に数回の交響曲程度
歴史にだけは興味を持っていたので
しろうと向けの歴史の本をときどき読んでいたが
とにかくおしゃべりがとまらないので
わたしにとっては生きたフランス語ラジオの役を
いつも演じてくれていた
ピエール・キュッサ-ブトン(Pierre CUSSAT-BOUTON)!
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