2023年9月26日火曜日

覚醒時の活動もまた死である

 

 

眠りは死である

生きているという経験をしたいのなら

眠ってはいけない

 

こんなことを言えば

健康学や

医学の見地からは

もちろん愚かにしか見えない

 

眠りは健康を支える基盤であり

覚醒時の活動パフォーマンスのレベルを高める

必須の要素だから

 

しかし

生まれて成長した人間が生きていることの

窮極の意義を

巷に溢れるチープな人生価値論の説くように

もし地上での活動経験や

一社会での地位や財の獲得や

動物のような生殖活動や

趣味や趣向への没入などに見出すならば

眠っている時間は必要悪の損失時間ということになるので

全力を尽くして

可能なかぎり削っていかないといけない

という理屈に

どうしても至っていく

 

眠りを

それ自体での固有の意義ある経験として捉えるためには

社会的活動だけでなく

地上での生存や存在自体にこそ

最重要の意義がある

という価値観に転換していかないといけない

 

ただ在る

意識がなくても在る

肉体的に呼吸をしている

血液が流れており

さまざまな生体反応が起こり続けている

それだけで価値がある

 

そういう見方や

価値観の定め方を全的に受け入れないと

眠りの価値は

根本からは認められない

 

そういう価値観が定まれば

意識を失って寝たきりになっているひとの生きようの

価値なども

しっかり定まってくる

認知症が進んで

じぶんがだれかもわからなくなったひとの存在も

それだけで

価値がある

なってくる

 

だから

逆説的に

眠りは死である

言っておきたくなるのだ

この偏狭な人界では

 

逆説を

進めておこう

覚醒時の活動もまた死である






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