時節柄
というべきだろうか
世界中の多くの人たちが
ルーミーの詩を
コールマン・バークスの英訳で引用し
リツイートしていた
13世紀のペルシア語の大詩人
ルーミー(Rūmī)の詩を
There exists a field,
beyond all notions of right and wrong.
I will meet you there.
いろいろな訳が
日本語でもできる
正しさと誤りの概念を超えたところに
野原がある。
そこで君と会うだろう。
とか
善行と悪行の概念を超えた場所に、
ある野原がある。
そこであなたに会おう。
とか
私たちの正義と不正の観念を超えて、
そこには野原がある。
そこであなたに会おう。
とか
「正しさと誤り」とか
「善行と悪行」とか
「正義と不正」とか訳された
「right and wrong」は
ルーミー自身の言葉では
iman (「宗教」)と kufr (「不信仰」)
単なる生活上の「いい/悪い」や
人づきあい上の「いい/悪い」ではなくて
命がけの宗教上の
「right and wrong」を
ルーミーは取り上げたのだろう
とすれば
こんなふうに
訳しておきたくなる
信じるとか
信じないとか
超えていこうよ
超えていけば
むこうには
フィールドがひとつ
会うのは
そこで
そこで会おうよ
俳優のブラッド・ピットが
右腕に
ルーミーの詩のひとつを
タトゥーしている
というのは
有名な話
タトゥーしなくても
イスラム神秘主義の大詩人の言葉は
こころの肌に
たましいの肉に
容易に刻まれるだろう
ルーミーの詩を
翻訳から翻訳を経由して
いくつか
見直しておこう
いつかペルシア語で
ルーミーの詩を読む日へと
ペルシア語習得に怠けがちな自分を
向かわせながら
わたしが生まれた場所は場所がないところ
わたしの印は印を持たず与えること
わたしの口や耳や目や鼻を見ているとあなたは言うが
それらはわたしのものではない
わたしは生命の生命
わたしはあの猫やこの石
誰でもないんだよ
二元性を古い雑巾のように
わたしは捨て去ったんだ
すべての時代と世界を
ひとつのものとして
ひとつのものとして
つねにひとつのものとして
わたしは見ているんだ
知っているんだ
何千ものわたしの顔に会うために
世界をさまようわたし
いちばん汚れた草さえもが
わたしの肌にきらめく陽光を受けとめる
わたしはこの流れのなかに立ち
ああ、こうしている今が自分自身だ!
と笑っている
あなたは
あなたの手でわたしの人生を掴んで
永遠の心という
荒々しい岩の上で
それをきれいにすっかり打ち砕いてしまった
血が流れ切って
わたしの人生が白くなってしまうまで!
あなたは微笑んで座っているばかり
わたしはといえば
あなたの太陽の下で乾いていくばかり
もし地獄で
あなたの髪の毛の一房でも掴むことができたら
わたしは思うだろう
天国の聖人たち
苦々しく思うだろうなと
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