なんでも
「~推し」になったり
「~活」になったり
そういうのも
気持ち悪いが
いまの日本では
どこも
かしこも
ぬいぐるみぶら下げや
キャラぶら下げ
カードぶら下げ
などした女の子たちでいっぱいで
なかには
女の子でない女性や
元女性?
みたいなエンティティーまで
なんやかや
ぶら下げている
外面的には「男性」
と見える人にも
そういうぶら下げ者がいる
こういうのを
「文化」
と呼んであげたり
寛大に
「まあ、カワイイ~」
と思ってあげたりするのが
現代ニャッポンの
お作法
所作
しきたり
処世術
のようだが
キモワル!
と
やっぱり
思う
現代ニャッポンは
総出で
まるごと
精神疾患まっただ中
と思う
癒やしを感じたり
「元気をもらったりできるから
ひとりでない安心感」が得られるから
とか
いかにも通俗な理解は
できるとはいえ
いくらなんでも
付け過ぎだろう?
ぶら下げ過ぎだろう?
犬山秋彦は
2021年の『ユリイカ』で
「魚のウロコのように大量のぬいぐるみを装着した姿」
と書いていたが
「魚のウロコ」とはうまく言ったものである
ひょっとして
すでに
宗教行為っぽいレベルに
「ぬい活」などは
達しているのではないか?
そう考えると
どうしても
1997年に起きた
神戸連続児童殺傷事件を
思い出してしまう
小学生の男の子の首を切断し
学校の校門の上に晒した
酒鬼薔薇聖斗と名乗った中学生の「少年A」が
自分で作り上げた
バモイドオキ神という神に
男の子の首を捧げていたということが
思い出されてしまう
「少年A」は
このバモイドオキ神に向けて
「聖なる儀式アングリ」や「聖なる実験」と呼んで
殺人を行った
14歳の「少年A」が書き
小学生の首の口に噛ませておいた
警察への挑戦状は
なまなかな推理小説では出会えないような
見事な花火となって
日本全国に広がったものだった
さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
SHOOLL KILL
学校殺死の酒鬼薔薇
この酒鬼薔薇聖斗事件
あるいは神戸連続児童殺傷事件は
思い出すたびに
何度も何度もくりかえし考究すべき細部の綾に満ちていて
飽きない
というよりも
いつまで経っても精神に荷が重い
わたしとしては
1995年の阪神淡路大震災と
やはり1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件
(および1988年から1995年に至る一連のオウム関連事件の数々)
による精神的心理的な強度の歪みが
「少年A」を酒鬼薔薇聖斗化させたと思えてならないのだが
オウム真理教のあの信徒たちが
地下鉄サリン事件前に選挙活動の際に
(これもあえて令和の今「選活」とでも呼んでおこうか?)
ショ~コ~、
ショ~コ~、
ショコ~、
ショコ~、
ショ~コ~、
アサハラ・ショ~コ~
あるいは
尊師、
尊師、
尊師、
尊師、
尊師、
麻原尊師……
という歌にあわせて
街頭で踊っていたのを思い出せば
https://www.youtube.com/watch?v=SzbE96aEUzU
https://www.youtube.com/watch?v=UpBSokH0Fms
腕を上げたり
跳ねたりして
「トランプ活」というか
「トラ活」というか
に躍起になっている
高市バアサンのはしゃぎぶりを見るにつけ
またまた
そろそろシン地下鉄サリン事件や
シン阪神淡路大震災や
シン酒鬼薔薇聖斗事件が
来そうだゾ
来そうだゾ
と感じられてならない
どうにも
「魚のウロコのように大量のぬいぐるみを装着した姿」
の
「ぬい活」女たちの洪水が
いっそう根深い
新たなオウム真理教信者の繁殖に感じられて
しょうがないのだ
しかも
「ぬい活」は
どこか
極めて性的な隠れた網の目の上に展開しているように感じられ
「少年A」が
ネコの殺害や小学生の殺害において
たびたび射精していたことも思い出させてくる
「少年A」
などと呼ぶと
性徴以前の「少年」を想像してしまいがちになるが
「少年A」はたびたび勃起し
たびたび射精していた
まるで
村上春樹の小説の人物たちのよう
まるで
大江健三郎の小説の人物たちにように
まるで
三島由紀夫の『仮面の告白』 の語り手のように
ああ
射精男がほんとうに大好きな
ニヤッポン文学よ!
ウィキペデイアの「神戸連続児童殺傷事件」についての記事は
バモイドオキ神について適確に触れていない点で不満が残るが
事件そのものについては
わかりやすく叙述されていて貴重である
世事の忙しさに追われて
事件そのものを
いつの間にか忘却していってしまった人たちが
たぶん触れなかった情報の重要な部分を
ここでほんの少し引用して
備忘に努めておこう
断片的に引用するが
それだけで十分だろう
後はウィキペデイアにじかに当たって
熟読し直していただきたい
引用1
Aは遺体の元へ行き男児の死体を床下から引っ張り出した。Aは「ただ、〇〇君の首を切りたい」とだけしか思っていなかったため、特にワクワクするといった気持ではなかった。男児はあおむけの状態で、眼は見開いていた。このとき、取調官はAに「男児の死体の目や顔を見ながら、その首を切るのに抵抗はなかったか」と尋ねたのに対しAは「別にありませんでした。僕が殺した死体であり、いわば僕の作品だったからです」と答えた。
黒いビニール袋の上に置いた男児の遺体を、糸ノコギリで一気に左右に2回切ると切り口が見えた。Aは左手で男児の額のあたりを押さえながら首を切った。この時Aは「現実に人間の首を切っているんだなあと思うと、エキサイティングな気持ちになった」と供述している。その後、男児の髪をつかんで首の皮を引っぱり、頭を胴体と引き離した。Aはしばらく頭部を地面に置き、正面から鑑賞しながら「この不可思議な映像は僕が作ったのだ」という満足感に浸り射精した。
引用2
頭部の置き場は一番目立つ場所がいいと考え正門に置くことにした。Aは男児の首をビニール袋に入れ、自転車の前カゴに入れて帰宅した。家には誰もいなかった。
帰宅途中男児の首を洗うことを思い付き、帰宅後土や木の葉で汚れた頭部を風呂場でタライに入れホースを使い15分ほどかけて丁寧に洗って、自分の部屋の天井裏に隠した。Aは首を洗った理由を「理由は二つ。一つは、殺害場所を特定されないように、頭部に付着している土とか葉っぱなどを洗い流すためでした。あと一つの理由は、警察の目を誤魔化すための道具になってもらう訳ですから、血で汚れていたので『せいぜい警察の目から僕を遠ざけてくれ。君の初舞台だよ』という意味で、顔を綺麗にしてやろうと思ったのです」と供述している。Aは首を洗った時も興奮して勃起し、髪の毛にクシを入れながら射精した。
引用3
5月27日未明、午前1時頃から午前3時までの間に頭部が入ったカバンを自転車に入れ、中学校の校門前に遺棄した。その準備のため、Aは男児の首を入れたビニール袋を補助カバンに入れ、手紙をジーパンのポケットに入れた。部屋を出る際には、両親に気付かれないよう部屋の窓から外へ出た。Aは友が丘中学校へ向かう際、車道ではなく歩道を通ったが、その間は誰にも会わなかった。正門前に着くと、男児の髪の毛を持って首を取り出した。Aは正門右側の塀に男児の首を置いたが、据わりが悪かったのか男児の首は落下した。首が落下したため、再びどこに置くか考えたが「正門の前だと一番目につくところだし、地面なら据わりもいいだろうと思い、正門の鉄扉の中央付近に顔を道路側に向けて置きました。手紙を取り出し"酒鬼薔薇聖斗"の文字が見えるように縦に『酒』という文字の方を口にくわえさせたのです」と供述しており、その時の光景を「学校の正門前に首が生えているというような『ちょっと不思議な映像だな』と思って見ていたのです」と供述している。Aはその光景を5,6分見ていた。また、この時Aは「性的興奮は最高潮に達し、性器に何の刺激も与えてないのに、何回もイッてました」という。Aはのちにその時の光景を「作品」と呼んでいる。
「少年A」が
一時的に頭部を遺棄した山林の近くにある
「入角の池」については
いっそう興味深いことに
このような神話化がなされていた
引用4
入角ノ池について少年はのちに、出版した『絶歌』の中で触れ、池のほとりに大きな樹があり、樹の根元には女性器のような形をした大きな洞がバックリ空いており、池面に向かって斜めに突き出た幹が先端へいくほど太さを増す不自然な形状を男性器を彷彿させたと形容している。さらに男性器と女性器。アダムとエヴァ。少年は得意のアナグラムでこの樹を〝アエダヴァーム(生命の樹)″と名付け愛でた。
アナグラム好きの彼が作ったバモイドオキ神という名も
「バイオ(生命)もどき」のアナグラムではないか
と推測する専門家もいる
さて
小学生たちを殺傷する以前に
「少年A」によって行われたネコ殺しについても
見ておこう
成長期の一般少年においては
性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されていくが
「少年A」においては
それらが分離されなかったという考察が
まことに興味深い
引用5
Aは小学5年生の時から動物に対する殺害を始め、最初はなめくじやかえるが対象だったが、その後は猫が対象になった。A自身が友人に、全部で20匹ぐらいの猫を殺したと語っている。標準的な人は性的な発育が始まる以前の段階で、性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されるが、Aは性的な発育が始まった時点で性欲や性的関心と暴力的衝動が分離されず(鑑定医はその状態を未分化な性衝動と攻撃性の結合と表現した)、動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結合していた。性的な発育過程にある標準的な感覚の男子は、自分の周囲の同年代の女子や少し年上の女性を、性欲を発散する対象として想像しながら自慰をして(または生身の女性と現実の性交をして)性欲を発散し、性的な経験を積み重ねながら肉体的・精神的な成長をして行くのだが、Aは動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、猫を殺して遺体を損壊する時に性的な興奮や快楽を感じて性器が勃起し射精した。Aはその性的な興奮や快楽の感覚や要求が、人を殺害して遺体を損壊することによって、猫の殺害と遺体損壊よりも大きな性的な興奮や快楽を得たいとの欲求へとエスカレートし、それが自分の運命と思い込むようになり、この事件を行ったのであり、殺人の動機の類型としては快楽殺人である。また、Aの言動を危惧した両親は、中学入学後の1995年11月に精神科の病院に通院させ、診断テストや脳の検査を受けさせた。その結果、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の診断を受けている。
Aは鑑定医から被害者を殺害したことについて問われると、自分以外は人間ではなく野菜と同じだから切断や破砕をしてもいい、誰も悲しまないと思うと供述した。被害者の遺族の悲しみについて問われると、あの時あの場所を通りかかった被害者が悪い、運が悪かったのだと供述した。女性に対する関心はあるかと問われて、全く無いと答えた。
「暴力的衝動」ではないものの
「少年A」と似たような
欲望と衝動の非分離が
「ぬい活」や
ぬいぐるみぶら下げ
キャラぶら下げ
カードぶら下げ人間たちに
また
「~推し」
「~活」人間たちに
腐敗した地中にくまなく広がった菌類のように
蔓延り極まったのが
令和ニャッポン
だと感じられてならない
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