2017年1月4日水曜日

わたしのわたしはすっかり空洞です



頂点を生きている

それはわからないだろうな
他人には

わからないでいいんだ

いくつもの見えない関わりの輪の交差が
見えるかたちとなって
いまの意識を成したりしていて
その意識が
OK
これが頂点だと
認めている

死はこないだろうな
頂点は死そのものだから

生を賛美するような幼い思考は
宿命と流動を見極められる地点では蒸発する

表現も
表現欲も
未来への志向も計画も蒸発する

できることは
肉体と宿命と運命に万感の敬意を表することぐらいか
大天使ガブリエルが聖母マリアに
聖母マリアよ、あなたに敬意を表します
と告げに来たように

肉体と宿命と運命が
わたしの聖母だったとわかったのちに
どんな問題が
まだ
残っているというのか

わたしは消えた
肉体を運び動かすものが
とりあえず
わたしと言い続けるだろうが
それは
もう
どんな闇も芥も自己愛も抱えていない
空の器に過ぎない

自らのわたしの
軽々とした無意味さを生きている人とのみ
関われるだろうか
これから

どのように
そうした人を識別できようか
食道から胃
胃から腸のように
わたしのわたしはすっかり空洞です
軽々と
そう言ってくれることが
証となるかもしれない




バカ。



SNSを流れてくる話では
紅白歌合戦がつまらなかったとか
不手際が多かったとか
視聴者の投票より審査員の投票が圧倒的に優位だとか

新年も生きのびていけるとは限らないからね
とぼくたちは話す

早々のトルコのテロでは何十人死んだって?

(神社に行くのを完全に忘れていたよ…

(すぐ近くの庚申塚へのお参りだけで、
(なんだか、気持ちはすっかり済んじゃったね

紅白なんて
見てる人、いるんだ?
この時代に?

今月は仕事が山積み、一秒の暇もない…

(なんにでも、すぐ飽きる、
(最近、ひどくなったな、食事にも飽きる…

人々はどこへ行こう、あそこへ行こう、行きたいと、
まぁ、元気といえば元気なものだ、
御免だな、ちょっとでも並ぶようなとこは…

(ぼくはもう、どこへも行かない、
(どこにも興味はない、頭の中に展開しているたくさんの
(もののほうが面白いし、…それにもう時間はないのだ…

初日の出、初詣、どうでもいい、
世間の大勢の流れていくところは、ますます、つまらない
それに、なにか、限界を超えた気がする、
ろくな意味もなければ、楽しくもない、たいした味わいもないものに、
人々が大挙して流れて行きすぎるようになっている…

(それが日本文化だというのか?…

(だったら、してろ、日本文化…

(ニホンブンカさぁん、ニホンブンカさぁん、…

元日、
いつも通りの朝食、
おせちなし、雑煮なし、興味なし…

けじめ?
節?
空気が変わり、気分が変わり、引き締まる…?

バカな。

気のせいを大げさにブンカにするなよ…

バカ。

…で、お守り買ったり、破魔矢買ったり、
商売に巻き込まれてやがんの。

バカ。




こころ



誰にも
特別には意識を向けられていない

そうわかっていれば
平穏

場所の確保と
金と
さびしさ
それだけがつかの間
人と人を
つないでいる

そうわかっていれば
平穏



かくれんぼ



ことばをわずか使い
それを壁とも屋根ともすることで
わたしは無言の中へ
意味のはずれへ
この世でだれに求められているというのでもなしに
かくれんぼ
する

まるでなにか言っているかのように
意味あることを
主張しているかのように
見せながら
微妙なバランスで
地上の生の保ちを支えたまゝ
ぎりぎり
意味のはずれへ
隠れ過ぎはせずに
かくれんぼ
する




記憶



個人の記憶ばかり
たとえば幼時のそれから
青少年期のそれ
壮年期のそれへと
飛び飛びに思い出され
取り沙汰されてしまうばかりだが
わたしの体そのものが
そもそも
生物たちの記憶
原子分子たちの記憶
宇宙創成の大爆発の瞬間から
今此処まで突き進んできた
疾走する彷徨者たちの記憶
それらがわたしのわを成し
たを成し
しを成し
しばらくはわたしを成して
逝けるもの
逝けるもの*
さらに
さらに
疾走していく
やがてわたしを解き
わを壊し
たを壊し
しを壊して
さらに
さらに
疾走していく
逝けるもの
逝けるもの
さいわいなるかな**

*羯諦羯諦、波羅羯諦(般若心経)
**薩婆訶(般若心経)




ヴェルサンジェトリクス*



計画的にガリア侵略を開始すると
カエサルはつねにガリア人部族を
他のガリア人部族に敵対させ
殺させ合う巧妙な方法をとった
カエサルの無慈悲さは徹底的で
10万人単位でガリア人を斬首し
同じ数の奴隷とともにローマに送った
圧倒的で無慈悲な武力攻勢で
ローマが押し続けるこうした状況のなかで
全く私利私欲のないガリア人の長
オーヴェルニュ地方出の
ヴェルサンジェトリクスが
前面に出てローマと戦うことになる
彼については敵のカエサルでさえ
「決して自己の利益のためでなしに
「たゞ諸部族の自由のためのみに
武器を取った男だったと記している
ひさしぶりにガリアの英雄に触れて
はじめてオーヴェルニュ出に気づいた
死んだ友の故郷でもあったところで
たびたび私も訪れたところだったから
私がよくやったように英雄も山の川で
鱒釣りを日がな一日やっただろうか
キノコ採りやベリー採りに没頭したか
捕えられたのち英雄はローマに運ばれ
陽の入らぬ獄に五年間繋がれ続け
カエサルは戦勝記念に彼を引き出して
衆人環視の中で首を掻き切らせた
この後ガリア人同化政策が始まるが
フランス史とヨーロッパ史はここから
本質的に幕を開けることになる
もっとも近年の研究ではカエサルが
じつはヴェルサンジェトリクスに
それなりの敬意をもって遇したのでは
ないかとの見解も出てきてはいる
五年間投獄したとか処刑したという
確たる証拠があるわけでもないらしい

*Vercingétorix




衝動・エネルギー・感情・理性の外部に立つ



「おめえは本を読むくちなんだな?」とポパイは言った。
ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』



言語配列の長所には
わざわざ言語を配列しようという衝動
それを遂行するエネルギー
エネルギー使用を維持しようとする感情力などが
ありありと把握され統御される点が挙げられ
この作業を継続して行うと
自己内部の衝動・エネルギー・感情の外部に常時立つようになる
言語の配列法は
ありきたりな概念構成に依拠するとは限らないとしても
その場で使用しやすいなんらかの基準に依拠せざるを得ない以上
とりあえずは機械的理性がそこに機能せざるを得ないから
使用しやすい理性の外にも出ることができる

ゴダールが映画の物語性を希薄にしたり否定してきた結果
やはり映画にはおざなりのものでも
とりあえずのものでも
物語めいたものが必要だと認識するに到ったように
言語配列にも
なんらかの筋、物語、イメージ、記号的法則性や
ゲーム性(『ゲームの規則』!)が必要とされると見なすべきだろう
眼目は物語やイメージを提示したり
それらによって情動を惹き起すことにはないので(それらをお望みの
向きは19世紀の象徴派以前の詩歌へと回帰あそばせ)
物語やイメージはあくまで仮のメロディーとして敷設されるに過ぎない
眼目はつねに言語配列者の
衝動・エネルギー・感情・理性の外部に立とうとすること
自己超克に
ある

最大の関心事のひとつとして看過し得ないのは偶然性を
どう見なすか
どう用いるかである
ウィリアム・バロウズたち、ビート・ジェネレーションによる
多くの偶然性の実験が行われ
単語を記した紙の小片をたくさん入れた箱から
偶然指先に触れたものを選び出して並べていく詩作が行われた
シュールレアリストたちも多くの実験を行った
そこに成った言語配列の価値は
配列者が自らの脳(すなわち語彙記憶)を用いて配列したものと
どのように違うか
どのように同じか
衝動・エネルギー・感情・理性はどのように超克され得るか
そこには未だに最大の人類的課題が横たわっている