2022年3月3日木曜日

何らかの理由で我々がそこから切り離されているもう一つの現実

 

 

20世紀最大の覚者のひとりG.I.グルジェフを

世の中に大きく紹介する著作を執筆したP.D.ウスペンスキーは

第一次世界大戦がはじまった時

コロンボにいた

エジプト、セイロン、インドへの長い旅を終え

イギリス経由でロシアへ帰り

〈奇蹟を捜しに〉行くと言い置いて

ふたたびペテルスブルグを離れた後だった

 

 

この〈奇蹟〉なるものを定義するのは非常に難しいことだ。

しかし、私にとっては、

この語はきわめてはっきりした意味をもっていた。

ずっと以前に私は次のような結論に達していたのである

――我々が今いる矛盾の迷路からは、

既知の、あるいは使用済みのいかなる道とも違った、

全く新しい道によるのでなければ逃れでることはできない、と。

しかし、その新しい、あるいは忘れ去られた道が

どこから始まるのかがわからなかったのだ。*

 

私はすでに、この偽りの現実の薄い被膜の向こうに、

何らかの理由で我々がそこから切り離されているもう一つの現実が

存在していることは疑いようのない事実だと考えていた。

〈奇蹟〉 とは、 この未知の現実を看破することであった。

そして、私には、その未知なるものへの道は

東洋において見出せると思われたのである。

なぜ東洋に?

これに答えるのは難しかった。

おそらくこの考えには何か物語めいたところがあったのだろうが、

しかしいずれにせよ、

ヨーロッパでは何も見つけることはできない

という絶対的な確信があったのである。


帰路、数週間をロンドンで過ごしている間に、

私がこの探索行の成果について考えていたことは

すべて混乱に陥ってしまった。

それというのも戦争の恐ろしいほどのばかばかしさと、

ロンドンの空気やそこで交される会話、

新聞などに満ち満ちていた感情とに、

意に反して影響されたためであった。
しかし、ロシアに帰り、旅に抱いていった考えを再考したとき、

自分の探索こそが、明白な不条理〉の世界で起こっている、

あるいは起こりうるいかなることよりも

ずっと重要であると感じたのである。

そこで私は、

戦争は、その中で我々が生き、働き、

しかもさまざまな問題や疑問への答えを捜さなければならない生の

今では普遍的となっている破滅的状況の一つとみなすべきだと

自分に言いきかせた。

 

戦争、ヨーロッパの巨大な戦争、

私はそんなものが起こりうるとは信じたくなかったし、

また現にそれが起こったということさえ

長い間認めようとしなかったのだが

――が現実になったのだ。

我々はその真只中にいるのであり、

そして私はこの戦争を、

どこにも通じていない〈生〉を信じることはもはや不可能であり、

我々は急がなくてはならないことを明示する

巨大な死を想い起こさせるもの〈momento mori〉として

受けとらなくてはならないと思った。


戦争は、ロシアにとって、またおそらくはヨーロッパ全体にとって

必至であると思われた最終的崩壊がくるまでは、

ともかくも私個人には関わってこなかった。

そしてその崩壊はいまださし迫ってはいなかった。

もっとも、迫りつつある崩壊はほんの一時的なものに思え、

まだ誰一人、これから先その中で生きていかなければならない

内・外両面の分裂と瓦解に気づいている者はいなかった。



108年前のウスペンスキーのこの思いを

いま思い出してメモしておくことは

だれかの役に立たないでもないかもしれない

 

ほんの小さな石や

ごく軽い投球が

認識の全容を一変させることもある

そういうものとしての

メモ

 

 

 

*P.D.ウスペンスキー『奇跡を求めて グルジェフの神秘宇宙論』(浅井雅志訳、平河出版社、1981)pp.17-18







2022年3月2日水曜日

にほんごというものを使って

 

 

宇宙の無時間のなかでは

わざわざ

言うほどのことも

ないが

思い出すほどのことも

ないが

 

20世紀から21世紀の

にほんごというものを使って

遊んでみたことが

あった

 

からだも

こころもない

ぼくの源にむかって

宇宙的永劫未来のなかの

ある日

ぽそっと

ひと言

言ってみるためだけの

ために






ほつほつ



魅力がないのに

ことばや

イメージを

費やし続けるものたちの

砂浜で

 

あまりの

底知れなさに

それでも

稀に

吸い寄せられていく

 

ぽつぽつ

 

ほつほつ

 

わずかなもの

 





いってみたりする


  

経験が大切だといわれる

知が大事だといわれる

 

しかし

それらをかき集め

むさぼり

蓄積して

どこに向かうのか

などと思えば

心もとない

 

あきらかなのは

とりあえずは

火葬場の

焼却炉のなかへ?

 

それだけは

たしか

 

まぁ

虚無的になるのは

やめておこう

 

しかし

かき集めた経験や

知は

どこに行くのか

 

身体や脳の

個としての衰亡ののち

それらには

しかるべき行きどころは

あるか

 

まぁ

虚無的になるのは

やめておこう

 

冷笑的に

なり過ぎるのも

やめておこう

 

今日も

若者たちに

経験は大事だよ

という


知は大事だよ

いってみたりする






灯の暗き昼のホテルに憩ひゐる

 

 

 

灯の暗き昼のホテルに憩ひゐる一時あづけの荷物のごとく

 

佐藤佐太郎の

昭和五十一年の

短歌

 

一時あづけの荷物のごとく

でない

わたしたちは

いるか?

 

そんな時が

ある

とでもいうのか?

 

わたしも

また

灯の暗き昼のホテルを

思い出す

 

ひとの少ないロビーで

または

ふいに到着客で賑やかになるロビーで

連れを待って

これから行く先のことを

あいまいに想像したり

気にかかっている用事いくつかを

これもまた

あいまいに思ってみたり

 

灯の暗き昼のホテルに

憩って

憩ったりして

何度も

気づいた

 

このホテルの

此処に

わたしを運んできたものを

わたしはやはり

ついに知りえない

 

ソファに身を沈めて

灯の暗さに

異様な感慨を覚えているわたしを

ついに

わたしは知らない





花のにしきはちゃんと着て

 


 

正岡子規の全歌集

『竹之里歌』*

最初のページには

明治十五年の作がたった一首だけ

 

隅田川堤の櫻さくころよ花のにしきをきて帰るらん

 

ただ

これだけ

 

歌人

正岡子規の歩みは

この一首からはじまる

 

まだ

江戸時代ふう

だと

言えよう

 

子規の個性も

まだ

開花していない

とも

言えよう

 

しかし

子規の短歌と俳句に特有の

あのすがすがしさは

すでに

現われている

 

花のにしきをきて帰るらん

帰るらん

子規なのだ

 

帰っていってしまうひと

花の

あるところに

居続けないひと

 

しかし

花のにしきは

ちゃんと

着て

 

 




 

*正岡子規全歌集『竹之里歌』(土屋文明・五味保義編、岩波書店、1956)

 

 





紅旗征戎非吾事

 

 


見慣れた紫色

ではない

赤い

ヒヤシンスが満開になって

鼻をよせると

さわやかで

甘さも

ある

よい香りがする

 

鉢植えなので

鉢ごと顔に近づけて

たっぷりと

嗅ぐ

 

花の色の赤さから

という

わけでもないが

紅旗征戎吾が事に非ず*

ふと

思い出す

 

読み終えないまま

十年以上も放り出していた

スタニスワフ・レムの『ソラリス』を

気まぐれから

早春

読み直しはじめる

 

ポケットに入れておいて

エレベーターの中や

信号待ちで

ほんの少しずつ

数行ほどや

せいぜい1ページ程度

読み進める

 

レムの生地は

現ウクライナのリヴィウ

ザッヘル・マゾッホも

ここの

出身だったりする

 

黒海とバルト海をむすぶ交易路の

重要な中継地のリヴィウは

17世紀にはスゥエーデンやオスマン帝国や

ウクライナ・コサックに襲撃され続け

18世紀にはオーストリア帝国に取られ

20世紀にはいったんロシア軍に占領され

またオーストリア・ハンガリー帝国に奪還され

その後西ウクライナとして独立したかと思うと

ポーランド住民が蜂起したことから

ポーランド・ウクライナ戦争になって

ついにはポーランドに奪われることになり

今度はポーランド・ソヴィエト戦争で

取られたり奪い返されたりし

第二次大戦ではいったんドイツに占領され

その後ソヴィエトに引き渡され

ふたたび独ソ戦でナチス・ドイツに占領され直し

戦後はソヴィエトになるものの

ウクライナ文化の中核地となって

ロシア文化に抵抗する牙城となった

そうな

 

なんとまぁ

忙しい

 

こんな

リヴィウの歴史を

ちょっとでも

ふり返ると

『ソラリス』のなかの

「じゃあきみは誰なんだい?」**

というセリフや

「ただ、ひょっとしたら聞いたことがないかな、

かつて神は神でも・・・・・・

欠陥を持った神を崇める信仰があったというようなことを?」***

というセリフが

急に血肉を備えてきて

体感として

わかる

気に

なってくる

 

「じゃあきみは誰なんだい?」

とは

いい言葉

ずいぶん鋭い

問い

 

そうして

 

紅旗征戎吾が事に非ず

 

日本には

この言葉が

ある

 

 


 

 

*紅旗征戎非吾事 (藤原定家 『明月記』)

**スタニスワフ・レム『ソラリス』(沼野充義訳)、「液体酸素」の章

***スタニスワフ・レム『ソラリス』(沼野充義訳)、「古いミモイド」の章