2018年6月10日日曜日

聴く者たちに強いられる接近とが …いや、“近寄り”とが



ラウテンクラヴィーア*といっても
細かい話になると、私、素人ゆえにわからない
バッハを大作曲家にする転機となった楽器だというし
マタイ受難曲もヨハネ受難曲も
ラウテンクラヴィーアを弾きながらバッハは指揮したともいう
“たったひとつの音の行方をどこまでも追って行く”姿勢は
この楽器との出会いから始まったのだともいう

これを復元して自ら演奏している山田貢のCD**
神保町のササキレコード社で偶然見つけて買ったもので
かけてみれば誰のバッハ観もが大きく揺らぐようなやわらかな美しさの
十数年に一枚現われるかどうかというべき貴重な録音だった
神保町まで歩いて10分や15分のところに住むようになって
ひと月後くらいに見つけたこのCDは
住むことになった新たな地とその周辺からの小さな祝福とも思えた

むかし縁あって要町のチェンバロ奏者鍋島元子さんの家に招かれ
置かれていた様々なチェンバロの音色を聴かせてもらった
1、2メートル以内でないと音のよく聴こえない繊細なものもあって
これほどの音のか弱さと
そのゆえに聴く者たちに強いられる接近とが
…いや、“近寄り”とが
弱さの不可思議なまでの底知れぬ強さと
楽器というものが揺らし起こす此岸一歩手前の
どこまでも無形のまゝの可能性を
かえって深く
まだ固まっていないゼリーの表面のような精神というものの表皮に
やわらかく
どぅる、どぅる、
と抉り記し得るかと思えた

グスタフ・レオンハルトの弟子だった鍋島さんが佐賀鍋島家の血筋で
曾祖父も祖父も男爵、祖母は侯爵ニ条家の出身で
母方の曽祖父は西郷従道、曽祖伯父が西郷隆盛というのは
後になってから人づてに聞いた話だった

あの時いっしょに鍋島さんの家を訪ねた若いamie
(日本語で若い「愛人」と言えばニュアンスはずいぶん異なってしまう…)
ショパンやスクリャービンの練習に打ち込んでいたが
道玄坂にあったヤマハミュージック渋谷店***に楽譜を買いに行った際
私の気まぐれな頼みに応じ店頭にあったピアノで
暗譜していたバッハのゴルトベルク変奏曲の4番までを弾いてくれ

その後音楽の道を完全に棄てて
誰もが想像さえしなかったような四人の子の母に
彼女はなった




*Lautenclavier
**Mitsugu Yamada : J.S. Bach und das Lautenclavier, LiveNotes, 2010.
***道玄坂のヤマハミュージック渋谷店は2010年12月に閉店した。2010年前後は私にとって多くのものが終わり、全く別の生へ強制的に方向転換させられた年だった。





とはいえ湿気も地上の花、あるいは胞子



お菓子をいっぱい貰った週で
アラン・デュカスのチョコレートLe Chocolat*の旨さには
荒野に続く荒野の只中で小さな果樹園に逢着したように驚かされた
とうの昔に飽いていたチョコレートなるものに
まだ幾らも未発見の鉱脈があるのだと知った

マンダリン・オリエンタル・ホンコンの
ドラゴン・ビアド・キャンディは
最初のひと粒だけがほのかに謡曲「高砂」を舌先に響かせたが
時間を置いてから摘んだふたつ目以降からは
もう音楽は滲みてこなかった

龍の境地に至っていない舌は
きっとひそやかに哀しみにくれたことだろう
このところ急に増した湿気もわざわいしたかもしれない
とはいえ湿気も地上の花、あるいは胞子
香港の海から立ち上った水粒子も私の指先に到着する頃だろう
  


*Alain Ducasse Le Chocolat, manufacturé à Tokyo.
**Dragon Beard Candy, Mandarin Oriental, Hong Kong.




まだまだ知らないことがなんといっぱい…と



セルジオ・ヴァルトロ*が弾くと
ゴルトベルク変奏曲は1時間41分41秒も続く
が聴いている間はさほど長くも感じないし
それほど変わった演奏にも思えない
終わり近くのヴァリエーション30で
突然歌声が響いてくるのこそ驚きで
いったい何をいま聴いていたのだったかと
やっていたことの手を止め
腕や肩の関節もそのまゝに止め
身体の他の部分も止めて
経験したこともないものへ向かうように
耳を澄ましてしまう
まだまだ知らないことがなんといっぱい…と
涼しい気圧のようなものが
四方八方からせり寄ってくる
  

*Sergio Vartolo(Clavicembalo) : Variazioni Goldberg, Tactus,1989. 



2018年6月3日日曜日

D-Day


 
いっそうの韜晦と
諧謔と
距離と
冷たさを

そして同時に
いっそうの侮蔑と
慈悲を

同士諸君よ



サン=ジェルマン伯爵でございます、はい。


 
国民とやらを
市民とやらを
庶民とやらを
これからいよいよ
楽しく眺めさせていただこうと思う

自分で採った種子を蒔けない法律もできたことだし
水道は民営化されて8倍も10倍も料金が引き上げられるようだし
労働時間の規定は完全に取り除かれて酷使したい放題になるのだし
老人や身障者や他の社会的弱者の切り捨て政策は進展目覚ましいし
原発事故の県ではガンの発生がウナギ登りでも誤魔化されているし
各地の原子炉の維持や廃炉には天文学的な支出が続いていくのだし
腹汚い既得権益連中が凝集して富を吸う戦前帝國化が進んでいるし

わからないのも
見て見ぬふりも
何もしないのも

国民とやらの
市民とやらの
庶民とやらの
やっぱり自業自得なので

これからいよいよ
楽しく眺めさせていただこうと思う

…と書く
あたしはだれ?
と問いが来るかもしれないから
言っておくけど

サン=ジェルマン伯爵でございます、はい。




またギロチンを研ぎはじめる次第

 

たいていのことは
おおげさに考えすぎないようにしよう
人間ごときが
感じたり思ったり企てたりすることなど
どこまで行っても
しょせんは
宇宙の藻屑にすぎないのだから

でも
そんなふうにおおらかに
寛大に
覚者ぶって
悠々としているうちに
ずるい連中や
底なしのバカどもがのさばり出す

しかたなしに
また
ギロチンを研ぎはじめる次第



ほんとうの窓が

 
だれにも媚びないことばを
まだ
記せる?

どれだけ?

そう思って
ここにも
ことばを記してみる

認められたがりのことば
買ってもらいたがりのことば
覚えてもらいたがりのことば
こころに留めてもらいたがりのことば

そんな商売ことばたちだけに
なってしまった地上で
まだ
あり得るのか
けっして奴隷になることのない
ことばは

たゞの逡巡としか見えないことばや
急ぎのメモ書きのことばこそが
まだ知らぬ
どこかのひろびろとした草原への
窓のように見える

だれをも動かそうとしないことば
だれをも誘導しようとなどしないことば

そんなことばたちがほしい

たゞ
窓がほしいために

ほんとうの窓が