2023年12月10日日曜日

レ・サングロロン デ・ヴィオロン


 

 

 

詩というと

ヴェルレーヌの『秋の歌』に

やっぱり

極まっちゃうのかな

と

思う

 

近代の

詩

の場合は

 

簡単

シンプル

音の粋

 

だれもに沁みる

嘆き節

 

嘆き節以外に

詩なんぞ

ある

もんか!

と

あきらめ悟ったうえでの

明瞭な

つぶやき

 

ああ、いいね

あの音

 

レ・サングロロン

デ・ヴィオロン

ドゥ・ロトン

ブレス・モンクー

デュヌ・ラングー

モノトン

 

トゥ・シュフォカン

エ・ブレーム・カン

ソンヌ・ルー

ジュム・スヴィヤン

デジュー・ザンスィヤン

エ・ジュプルー

 

エ・ジュマンヴェ

オ・ヴァンモヴェ

キ・マンポルト

ドゥサ

ドゥラ

パレイユ・アラ

フゥユ・モルト*

 

「なによりも音楽を!」

と言った人の

詩だから

まずは音でしょ

カタカナを通したのでもいいから

まずは音でしょ

 

意味は添え物

 

人生の意味や意義が

いつも

添え物でしかないように

 

だから

訳す必要はない

 

秋の何挺かのヴァイオリンの

長いすすり泣きが

抑揚のあまりない愁いに満ちた音色で

私の心を傷つける

 

時の鐘が鳴る時

息苦しくなり青ざめて

私は昔の日々を思い出し

涙を流す

 

そして私は立ち去っていく

悪い風に

枯葉のようにそこここに

運ばれながら

 

などと

なるべく芸もなく直訳ふうに意味を取ろうとしながら

訳す必要など

 

 

しかし

芸もなく直訳ふうにしてみると

うまかったなあ

上田敏は

と

思い出す

 

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

 

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

 

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

 

 

やっぱり

これも

うまかったなあ

堀口大學の

訳も

と

思い出す

 

秋風の
ヴィオロンの
節ながき啜泣(すすりなき)
もの憂き哀しみに
わが魂を
痛ましむ。

 

時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来し方に
涙は湧く。

 

落葉ならね
身をば遣る
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風(さかかぜ)よ。

 

 

金子光晴の訳も

あったなあ

これは

すっかり口語になっていて

なるほどなあ

と

思い出す

 

秋のヴィオロンが
いつまでも
 すすりあげてる
身のおきどころのない
さびしい僕には、
 ひしひしこたえるよ。

 

鐘が鳴っている
息も止まる程はっとして、
顔蒼ざめて、
 僕は、おもいだす
むかしの日のこと。
 すると止途もない涙だ。

 

つらい風が
僕をさらって、
 落葉を追っかけるように、
あっちへ、
こっちへ、
 翻弄するがままなのだ。

 

 

そもそも

音だけでいいのだし

これだけ

訳もいろいろあるのだし

訳す必要など

ない

こんなふうには

 

  秋

すすり泣く

ヴァイオリン

緩急なく

ながながと

音のびて

愁いのしみる

わがこころ

 

時の鐘

鳴ったりすると

泣けてくる

思い出すのだ!

むかしの日々を!

息も詰まり

青ざめたかな?

すこしは

顔も

 

そして

枯葉

まるで

枯葉

荒っぽく

そこやここ

吹き散らされて

去るほかに

なきわたくしと

なりにけり

 

なりにけり

 

 

 

 

 

*Chanson de l'Automne  Paul Verlaine (1844 – 1896)

 

Les sanglots longs

Des violons

De l'automne

Blessent mon cœur

D'une langueur

Monotone. 

 

Tout suffocant

Et blême, quand

Sonne l'heure,

 Je me souviens

Des jours anciens

Et je pleure; 

 

Et je m'en vais

Au vent mauvais

Qui m'emporte

Deçà, delà

Pareil à la

Feuille morte.                                                               

 

 




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