2024年9月20日金曜日

十分な文脈を構成せず

 

 

 

写真も動画も

狭く限定されたフレームによって

効果を持つようになる

 

SNSに見られる

言い足りない

短く断片的な言表の作りかたも

フレーム行為といえる

 

十分な文脈を構成せず

乱暴に

いいかげんに投げ出される

片言隻句の単語や分節

時には文字

 

受けとめる側に

すこしでも多く文脈作成を行わせる時

言葉は効果を持つ

 

これは

じつは詩を発生させる鍵で

単語を過剰に並べすぎる時に

詩が失うものでもある

 

狭さ

断ち切ること

千切ること

乱暴に撒くこと

つねに不完全であること

いい加減であること

 

他の単語や分節と絡め過ぎれば

単語や分節に

一時期だけの文脈を強いることになり

激流の川下りのような

時代と趣向の変遷を越えていくことはできなくなる

 

狭さ

断ち切ること

千切ること

乱暴に撒くこと

つねに不完全であること

いい加減であること

 



 

行ってしまえ

  


生はことばとともにしかない

生はことばの中にしかない

 

たとえば

生きている

と思い

言い

生き+て+いる

と結んでいけるときにのみ

そのひとは生きている

 

生きている

と思えないとき

言えないとき

そのひとは生きていない

 

そのとき

じつは

「生きていない」

さえ

ない

 

生きている

と思わないときも

からだは動き

からだから発生する情動は

あるだろう

 

生きている

と呼べないもの

呼び得ないものがあり

それが

からだを動かし

情動を発生させる

 

生きている

と思うことを捨てて

それのほうへ

もう

行ってしまえ

 

 




忘れられていく

 

 

まこと

すみやかに

死んだひとびとが

いま生き残っているひとびとによって

忘れられていく

 

しかし

いま生き残っているひとびとが

死んだひとびとによって

そもそも認知されていたのかといえば

それもあやしい

 

死んだひとびとにとっては

いま生き残っているひとびとも

もともと

死んだひとびとだった

 

 




2024年9月19日木曜日

ひかりと闇



 

ひかりと闇とでは

ひかりのほうがよいように考えられがちだが

ともに同じ次元に発生するもので

ひかりは非常に重い

誤って

よいものであるかのように捉えられるため

ひかりによって目隠しされて

見えなくなってしまうものも多い

 

ただの譬えとしてひかりを使っているうちはよいが

譬えを用いるのは

もちろん低位のレベルでのことに決まっている

 

闇を実体のように捉える場合もあるが

ひかりのなさを闇と呼ぶ場合は

闇はひかりよりも高位である

闇の質は細かく澄んでいて清浄であり

じつは悪霊のたぐいも闇とともにはいられない

悪霊はむしろひかりの幕の裏側に潜む

すべて悪なるものは

ひかりによって表出されるかたちと色に添う

かたちと色の消える闇のなかでは

むしろ悪は存在できないものである






2024年9月18日水曜日

で、あなたはどこにいるの?

 

 

 

で、あなたはどこにいるの?

 

ここにいる

あなたはもちろん言うだろうけれど

 

もう一度 聞くね

 

で、あなたはどこにいるの?

 

ここにいる

あなたの言うのが聞こえるけれど

そこに

あなたがいないのが見える

 

ここにいる

あなたが言っているのが聞こえるのが聞こえない







9 29


 

 

絵本作家のぶみさんの胎内記憶YouTubeを聞いていたら

幼い子たちが

ことし9月に来る

東京タワーも倒され

沿岸がみな流されてしまうような

関東の大地震や大津波の日付と時間を言っている

というので

いちおうメモしておいている

 

9 29    10 20

                 12 27

                 14 57

 

生まれていた子どもたちが

生まれてくる前に聞いていたというのだが

頑是ない話である

 

頑是ない話として

いくらか伝達するというのも

なかなか

巧妙なのぶみさんである

 

ワクチンの危険性についても

のらりくらりした話しかたをわざわざしつつ

ことばを

ごまかし

ごまかししながら

ながいこと伝えようと努めていて

なかなか

頑張っているのぶみさんである

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=5GKrHkMkWHc&t=7s






ほんのちょっといまだけ

 

  

 

あのひとの言い方も

このひとの言い方も間違っているだろう やはり

 

ぼくは黙る

 

黙るが

言葉を使わないべきだと

言いたいのではない

 

どこかで拾ったまま

思いの作られる流れのなかにこびり付いている

ある種の言葉の並べ方を

使わないでおこうと思うだけだ

 

たとえば

言葉となにかの実感をくっつけてしまったり

言葉をどうでもいい論理の支配に

隷属させ続けたり

 

ぼくは黙る

 

べつにかたい決意もなく

永遠に

などと劇化するわけでもなく

 

ほんのちょっと

いまだけ






ぬくぬくのお風呂みたいに

 

 

 

もう秋分も近いというのに

暑さのやつ

忘れないでよね

というつもりなのか

また

豪勢に戻ってきて

ほかほかの肉まん生地みたいに

ぼくのからだを包んでいる

 

暑さ好きのぼくは

いやな顔ひとつしないで

包まれてやっているが

なんだか

うきうきしてきちゃったぞ

見わたす街の景観や

空や地面や

そこここの草や木なんか

ぜんぶひっくるめて

ぬくぬくのお風呂みたいに

感じてきちゃったぞ





2024年9月17日火曜日

いい風のなかにいると

 

 

いい風のなかにいると

風こそがわたしの人生と思えてすっごい楽です

風生

とでもいったほうがいいのかしら?

いろいろな色も見えて

わたしの風生はゆたかだった

と満たされるのです

 

しがみつかなければ色は気持ちいいでしょ?

 

色はさざなみ

 

移ろっていきます

 

あなたの恋や愛のように

 

でも

まだいっしょに生きていこうね

 

乾杯!







ビスケットでできた汽車が来るというから


 

 

ビスケットでできた汽車が来るというから

ここの踏切で

ちょっとピクニック気分で

朝のはやいうちから待っていました

 

たった一日の朝のうちというのに

夏の朝の露草のしめり気が足首に付くのからはじまって

秋になり冬になり春になったので

朝のうちというのは

大いそぎで季節が移り変わっていくものなのだな

ひとつの季節にはその季節しかないなんて嘘だったんだな

と気づかされました

 

ビスケットでできた汽車を見るには

ちょっと味覚的にあわないかな

と思ったので

チョコレートはバスケットに入れてきていません

でも

イチゴやラズベリーはふんだんに持ってきたので

さっきからおいしい

おいしい

きのうカスティリアさんから戴いたマンゴーだって

持ってきています

 

 




できるだけ澄んでいる水

 

 

 

死んだひとたちと飲む水は

ちょっと濁っているものもいいものです

レモンでもない

ミントでもない

レモングラスでもない

名前を忘れてしまった香草の葉をほんのすこし千切っていれて

ぼくたちはゆらゆらと飲むものなのです

ゆらゆら飲むと

あなたたちがあんなに「時間、時間…」と呼んでいたものが

ゆらゆらと絡みとられて

ぼくたちは時間の外に出てしまえるのです

 

死んだひとたちとでなく飲む水は

できるだけ澄んでいるものがいいものです

香草のたぐいなどなにも入れず

できるだけ澄んでいる水が

ぼくたちから

いろいろなものを吸い取るのにまかせるのです







おいしいお酒をいっぱい



 

泣き疲れて妊娠してスミレが咲いて鮎が釣れて

ガラスのテーブルを大事にしています

食虫植物を集めている老人の家のサンテラスに飾って

大事にしてもらうために磨き上げた宝石、ちょっと見せてあげるね

時代はどうやら薄紫がかってきましたから

躓いたりしないように足元に注意して

そおっと進んでまいりましょう

本当の気持ちをそろそろ言ってくれない? あの

外国の美しい小さな港で

(まだ結婚式じゃなくって)

婚約式をしようね きれいな薄いガラスの食器を用心深く並べて

静かに凪いだ海を眺めながら めずらしく

おいしいお酒をいっぱい飲もうかな

 





おはよう!ぼくの素材くん!

 


 

考え直してみれば空気と肌のほんとうの境目を

感じつくしたこともない

と凍てつく湖のほとりの明けがたに気づきランプを点ける

 

ランプのあかりがサッと東の空へ飛んで

地平線に燃えうつると

太陽が「ありがとう」と声をくれた

 

「きょうはなぜだかあかりに欠けていて

うまく夜明けを演じられるかわからないほどだった」

と言い続けてからいつもの日の出の太陽となった

 

空気と肌のほんとうの境目のことは曖昧なままで

だんだん強くなる日の出の陽光が地に落す陰の黒さが

「おはよう! ぼくの素材くん!」と朝の挨拶をしてきた






夜分け

 

 

夜明けだ

とつぶやいたら

夜分けだ

と返して来た夜空の消え残りがあった

 

夜分け

なんていう言葉を知らされたのははじめて

 

どういう意味かな?

夜を分ける

なんて思ってもみなかったよ

 

夜分けだ

他の夜明けにつぶやいてみたら

返答はなくて

すごい静寂があった

 

さびしいわけじゃないな

気づいた







川野ほとり

 

 

ほんとにそのとき記したい言葉ってむずかしい

川のほとりで何時間もボーッとしてしまいながら探してしまう

あの言葉

この言葉

たくさん書き記してみて

結局

どれも違っていたということがほんとに多い

何年も流れていった

何十年も流れていった

何百も生は流れていった

 

だから

わたしを川野ほとりと呼んでください

 





冷蔵庫にちゃんと

 

 

 

風鈴たちがまったく揺れない夜から朝も

地震たちは

大きく

小さく

揺れる準備をしていました

 

すてきな草原にいるんでしょ? 

ほんとは?

 

ぼくは誰でしょう?

って

また耳元で囁きたいんでしょ?

 

冷蔵庫に

ちゃんと入ってなきゃ

ダメなんだよ

 

タンポポたちの告解を聞き続けているんだから

邪魔しないでよ







遙かな

 

 

 

遙かな

ということばをしばらく言っていなかったので

一行目に書いてみました

秋の終わりには海辺に行って

わざと裸足になんかなって

やっぱり

ちょっと寒いね

なんて言いながら

ながくながく

歩いていってみようよ






感情のほつれが線香花火のように

 

 

 

感情のほつれが線香花火のように発火しはじめる時を

待っているのね?

 

人類よ