2024年6月30日日曜日

ワイドショーやモーニングショー

 


 

テレビを見ることはほとんどないし

ちゃんと見ることとなると

いよいよ皆無だが

昼過ぎにまれに見ると

昼のワイドショー的なものをやっていて

そこではお笑い芸人だった恵俊彰が

今ではいっぱしの司会者になっていたりする

 

お笑いコンビ・ホンジャマカのメンバーで

相方は石塚英彦だったから

ホンジャマカは両名ともけっこう出世したわけか

とヘンなところで感心したりする

 

恵俊彰という人は

2023年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で修士号を取ったが

研究テーマは「情報番組がスポーツを伝える役割」だったそうで

なんだかなあ……ではある

放送の前にほぼ全新聞に目を通し続けているとかいうところは

たいした努力家ではあると思う

 

恵俊彰は鹿児島生まれだが

父が恵大島紬織物を経営していて

白く染める泥染めの「白恵泥」の特許を持つ

大島紬の職人だったことまでは

『ひるおび』の忠実な視聴者たちでもあまり知らないことだろう

 

テレビ朝日のほうの『ワイド!スクランブル』では

突出した魅力があるわけでもないが

ヘンなブレ方をするわけでもない

大下容子というアナウンサーが出ていて

なんでこの人が昼のワイドショーを担っているのか

いまだによくわからないのだけれど

慶応の法学部卒で会社法などを専攻していたようだから

それらしく振舞ったり機転が利いたりするからかと

納得しようとしてみたりする

 

大阪色で売っている『情報ライブ ミヤネ屋』は

宮根誠司の個性だけで回しているようだけれど

気象キャスターの蓬莱大介さんが

なかなか知的で気の利いたまとめ方やしゃべりかたをしていて

大阪にもまともなやつがおるんか?

と思わされるところが面白いのだが

蓬莱さんは生まれは明石でも

早稲田の政経卒だから

やっぱり東京の空気で一度は磨かれたからだな

と東京人としてはヘンな納得をしてみる

 

『ゴゴスマ』というのは

午後のスマップ…とでも言いたいのかと思っていたが

GO GO! Smile!というのを略してゴゴスマとしたのだそうで

なんというか名古屋らしいダサい命名だが

名古屋だからなあ……と東京人は思うことで決着をつける

司会者の石井亮次という人は

昼過ぎのワイドショーの中ではいちばん垢抜けない感じなのだが

そこが名古屋なのかもしれない

しゃべりも立ち居振る舞いもきしめんっぽいし

味噌カツっぽいといえば

なんとなくわかってくれるかな?

 

それにしても

今どきだらだらとテレビを付けっぱなしにしている層

というか

階層というか

階級というか

人種というか

そういう人たちには

これら昼過ぎワイドショー番組の司会者たちや出演者たちは

まさに現代そのものを表わす

今をときめく永遠の著名人たちと見えてしまうのかもしれない

 

だが

その昔

むかしむかしのまた昔

テレビが本当にテレビしていた頃の

『木島則夫モーニングショー』

『奈良和モーニングショー』

『小川宏ショー』

『溝口泰男モーニングショー』

などばかりか

『奥さまスタジオ 3時のあなた』の

高峰三枝子の司会ぶりなどまで

毎日のようにしっかり見尽くしてきた身としては

モーニングショーやワイドショーの司会者たちや出演者たちは

番組が終わると

あたかも存在などしていなかったかのように

ものの見事に雲散霧消してしまうのを体験してきている

 

小川宏がどれほどの説得力を持っていたか

毎日のように八代栄太や中山千夏が『お昼のワイドショー』に出ていたり

東京都知事になった青島幸男が

1968年から11年間も『お昼のワイドショー』を司会していたり

「パンパカパーン、パンパンパ、パンパカパン、今週のハイライト」

のちの大阪府知事の横山ノックも『お昼のワイドショー』に出ていたり

そうして

七三分けどころか八二分けという感じの

頭にトンカツを乗っけたような髪型でジャーナリスト気迫のあった

溝口泰男が頑張っていた6年間があったことも

現代のワイドショー視聴者たちはまったく知らないし

かつて見た人もほとんど覚えていないだろう

 

現代の

今まさに活躍中の宮根誠司も

恵俊彰も

石井亮次も

大下容子も

いつか番組司会から退く時には

かつてのワイドショーの英雄たちのように

あたかも存在などしていなかったかのように

ものの見事に雲散霧消してしまうにちがいない

 

ジャーナリスト魂にいちばん溢れていた溝口泰男は

モーニングショーでは毎日のように熱気に溢れてキリッとしていた

番組を江森陽弘に譲ってからは

急に消え去ってしまったように見えた

それでも

他の番組に出たり

自分の考え方を貫くべくテレビ朝日から独立して

地方局でみずから企画構成して司会もやったりしたようだが

独立後すぐに直腸ガンを発病し

49歳で死去した

 

De Profundis

 

 

 



2024年6月28日金曜日

ベアトリーチェ・チェンチ

 

 

ふと

ベアトリーチェ・チェンチのことを

思い出した

 

ネット社会も当たり前になり

そこにスマホやタブレットが普及し切った現代

ベアトリーチェ・チェンチを調べると

グイド・レーニが十六世紀に描いた肖像画がいっぱい出てくる

 

左向きにふり返ったところを描いた絵は

のちにフェルメールが『真珠の耳飾りの女』で利用した構図で

これはどう見ても

フェルメールが借用したものと推察せざるを得ない

 

この数百年

ベアトリーチェ・チェンチは美人だとの世評が高いが

美人というよりは

愛くるしさの残る娘というべきで

かわいい子

と言っておくのが妥当なところだろう

 

父のフランチェスコ・チェンチは

実の娘のこの愛くるしさに狂わされたのだろうか?

14歳になったベアトリーチェを監禁し犯した

 

ベアトリーチェは復讐を決意し

母親と兄ジアコモを味方につけて

阿片を飲ませて眠らせた父を執事オランピオに殺害させた

父フランチェスコの目と首には大きな剣が突き刺さっていたという

ベアトリーチェと母は剣を抜くと

血みどろの死体をシーツで包み

庭のニワトコの木々の上に投げ捨てた

告発から逮捕に到り

サン・タンジェロ牢獄やサヴェッラ牢獄で

ベアトリーチェはさまざまな過酷な拷問を受けたが

髪の毛で吊されたり

逆さ吊りにされたりしても

顔色ひとつ変えずに堪えたという

 

法王クレメンス八世は同情的だったそうだが

当時のイタリアでは近親者の殺害が増えていたため

ベアトリーチェへの極刑は避けがたくなった

 

ベアトリーチェの断頭刑は

ローマのサン・タンジェロ橋前の広場で行なわれた

 

公開処刑にはたくさんの見物人が詰めかけ

「美しき親殺し」と呼ばれたベアトリーチェの首が飛ぶのが

大勢の目によって凝視された

現代ならインスタ映えの恰好の対象だっただろう

SNSで動画は一瞬に世界中に広がったに違いない

美少女の首が飛ぶのを撮影するのは不謹慎極まりないものの

世界にまたとない美少女の断頭なのだから

これは特別扱いせざるを得ないとイーロン・マスクも認めるだろう

そうしてしばらくしてからこの動画に禁止措置をかける

用意のいい人々はスクショだの魚拓だのを取って

後世のための映像資料としてくれることだろう

 

この時のベアトリーチェの首を刎ねた道具は「斧」と呼ばれ

処刑される者が板の台の上に馬乗りに跨がるものだったらしい

この処刑場面については

イタリア狂いのスタンダール(Stendhal)

短編集『イタリア年代記(Chroniques italiennes)』の中の

『チェンチ一族(Les Cenci)』で書いている

むかし学生時代に卒読した訳本はとうになくしてしまっているので

手元にあるプレイヤッド版から

そのあたりを即興で訳してみると

 

―ー縛りなさい、罰せられなければならぬこの体を。そして、魂を解き放ってちょうだい。不死と永遠の栄光へと到るはずだから!

 そうして彼女は立ち上がり、祈り、履いていたミュールを階段の下に残すと、断頭台に上り、板の上にささっと脚を絡め、首を斧の下に差し出した。みずから最適な姿勢をとったので、執行人に触れられないで済んだ。手ばやい動作だったので、タフタ織りのベールが彼女から引き離される時にも、彼女は群衆に肩や胸を見られないで済んだ。群衆に混乱が生じたため、彼女の体は、長いこと、このままお預けの状態になった。この間、彼女は大きな声で、イエス・キリストの名や聖母の名を唱えていた。最期の時には、体が大きく跳ね上がった。

 

ベアトリーチェが「斧」の下に首を差し出すところで

一応「斧」と訳しはしたものの

ここはスタンダール自身がイタリア語でmannajaと記してい

フランス語で「斧」と言ってしまっては

当時のイタリアでの処刑の雰囲気が損われると思ったのか

それともやはり特殊な断頭台であることを表現しようとしたのか

現代のイタリア語ならmannaia(マンナーイヤ)なのだが

かつては「i」のかわりに「j」を用いたのか

現代でもそういう綴りがあるのか

スタンダールが誤って綴ったのか

そのあたりはわからない

 

ローマのサン・タンジェロ橋前の広場で断頭された時

この可憐な近親相姦の被害者

ベアトリーチェ・チェンチは16歳だった

 

彼女のことなどこれっぽっちも知らずに

夏の真っさかり

ランチで食べ過ぎたパスタと

赤ワインの飲み過ぎで

暑いローマの午後を

ふらふらしながら歩いて

せっかくのサン・タンジェロ橋前の広場も

ただの愚かなお上りさんとして通過していった16歳だった自分を

今になると

恥ずかしく思う

 

 




巨大資本の被統治者


 

 

 

結局、問題になるのは、

いかなる目的のために嘘がつかれるのか、

ということになろう。

    ニーチェ 『アンチクリスト』

 

 

 

 

小さなもの

繊細なもの

かそけきもの

弱々しいもの

 

それらを書こうとするのさえ

容易ではない

 

むしろ

それらを書くことのほうが

困難かもしれない

 

すぐに

それらの側に立って

(というよりそういう装いをして)

小さなもの

繊細なもの

かそけきもの

弱々しいものを

慈しもう

守ろう

などといったポーズを

大向こうの倫理的判定者たちにむかって

組み立ててしまおうとするから

 

どれほど

深く

深く

言語表現と

それを組織する精神とは

巨大資本の被統治者(subject)たるべく

型染めされて切っているか

 

近代の人間とは

なんという

ニセモノの奇形児であることか

(ニーチェ 『アンチクリスト』)


 






覚醒

 


 

洗ったあと

食器籠にしばらく重ねておいた食器が

乾いてきたが

まだ

濡れているところがあるので

もう少し

そのままにしておく

 

けれども

水が飲みたかったので

ふだん使いのコップだけ取って

濡れているところを

布巾で拭った

 

その時

激しい感覚に襲われた

 

濡れているコップを

布巾で拭いて

そこに水を注いで飲む!

―この行為!

 

これは

わたしのものではない!

わたしにふさわしい行為ではない!

本来わたしは食器を洗ったりしないし

そもそも食器を使用したりしないし

そもそも物を食べたり飲んだりしない!

 

こういう

激しい感覚だった

 

この界域に来てから

まわりでなされているいろいろなことを

そうすべき当然のことのように見

いちいち抵抗せずに受け入れ

じぶんでもやってみるようにしてきたが

ふいに稲妻に撃たれるように

いやいや

やはり

これはじぶんのやりかたではない!

わたしのものではない!

わたしにふさわしい行為ではない!

という感覚

いや

覚醒が来る