オーストリアでは人間は男爵から始まる。
メッテルニヒ
「民主主義を守れ!」
「民主主義を守るために…」
などと声を張り上げている候補者を見ると
バカも極まっているな
と思う
この現代でもっとも愚かなのは
「民主主義を守れ!」とか
「民主主義を守るために…」とか言うことが
なにか素晴らしいことをしているかのように思い込んでしまう輩だろう
民主主義は「デモクラシー(democracy)」の訳語なので
遡ればギリシャ語にたどり着く
「デモ」は「δῆμος」で「民衆・大衆・人民」
「クラシー」は「権力・支配」を表わす「 κράτος」
だから「デモクラシー」は
「大衆・民衆・人民による政治的支配」
こんなことは高校までにだれもが習う
なぜ「民主主義を守れ!」がバカかというと
現代の日本政治にあっては
どっちにどう傾こうが
形式上は「大衆・民衆・人民による政治的支配」は崩れないので
「民主主義を守れ!」と叫ぶ必要がまったくないからだ
どっちに転がろうが
この国は救いようもなく「大衆・民衆・人民」の場であり
さらにいえば「愚民」の国である
政治的スローガンは無数にあれど
「民主主義を守れ!」だけは必要がないというのが
この国の現状だろう
さらに言えば
「大衆・民衆・人民」や「愚民」のなかに
しっかりとあなたや私が場所を占められるかどうか
保証のかぎりではない
「大衆・民衆・人民」や「愚民」は
かならずや文化大革命を引き起こすのだし
クメール・ルージュ的な虐殺をやらかすのだし
もっと近いところではアメリカ民主党的愚昧LGBTQをやらかす
関東大震災の朝鮮人虐殺など朝飯前に引き起こす
いや
そういうことではない
「民主主義を守れ!」という叫びは
個々の国民の声や意見や望みがしっかり政治の場に通り
政策に反映されていくような状況を守れ!
ということだ
などと
小賢しい連中は反論するかもしれないが
それが望みだというならば
「民主主義を守れ!」という表現はふさわしくないのだから
用語選択から替えて出直すべきだろう
政治は言葉なのだから
しっかりと的確な用語を掲げ直すべきである
今の政治を実際に動かしているのは
一般市民や一般国民の声でなく
官僚や悪徳政治家の思惑や財界の裏取引や新興宗教団体だ
という意味で
「民主主義を守れ!」
と言いたい輩もたくさん存在しているようだが
官僚や悪徳政治家や財界人や新興宗教団体メンバーたちも
あくまで「大衆・民衆・人民」の一部なのであって
貴族でもなければ王侯でもない
「民主主義」という語は
貴族政や王政に対してのみ意味を持ちうる用語なので
経済面での貴族や王侯が現代でも実質的に存在するとはいっても
彼らの身分的な出自はあくまで
「大衆・民衆・人民」
どうひっくり返っても
「民主主義を守れ!」
これは日本ばかりに限ったことではなく
全世界がバカなのだと言えるが
ヨーロッパなどには本当の貴族や王侯が今もいるので
「民主主義を守れ!」はまだ意味を持ちうる
とはいえ「民主主義を守れ!」というのは
「大衆・民衆・人民」さらには「愚民」という人間のありようを
守れということなので
賢人政治を希うような人びとの立場からすれば
空恐ろしいことこの上ないとは言える
0 件のコメント:
コメントを投稿