2025年12月2日火曜日

きみだけが死ぬ

 

 

 

きみだけが死ぬ

死ぬのはきみだけ

死ぬのはいやなものだよ

死ぬのはさびしいよ

むなしさの極地だ

過ごして来た時間がぜんぶ無意味になり

(というのも

時間内に展開する経験は

時間が継続することでのみ意味を持つからだ)

やり遂げたと自己満足してきたことがすべてきみのきみ性から剥がれ去り

まだまだやりたかったことも

やれる可能性の向こう側へ一瞬に飛び去ってしまう

きみは身体を失い

顔を失って

焼却炉のなかで脳を焼き尽くされ

きみの頭蓋骨の裏側は火葬立会人たちの目に晒される

そんな物質的な結末はまあどうでもいいが

きみだけが死ぬ

死ぬのはきみだけ

他のみんなは死なないよ

誰が死ぬ時もいつも死なない他のみんながいて

死ぬのはきみだけ

きみだけが死ぬ

身体とこころのコントロールをすべて失って

思いどおりになにかができるというああ!懐かしいまぼろし

なにひとつ動かせず想起できず感得できなくなって

いざ死んでみたら霊も魂もきみにはなんにもないきみもなくて

ああ!なんという輪郭のなさ!かたちのなさ!温度のなさ!

もはや知的だの感情的だのももうどうでもよくなり

(だって知も感情もなんにもなくなるのだから)

感覚も認識も識別も偏見も妄想も誤認も正見も理解もなく

きみだけが死ぬ

死ぬのはきみだけ

そして底なしに忘れられていき

きみのすべては最初からなにもなかったことになり

何十億年も前どころか宇宙開闢以前の無のスープだけとなり

歯ぎしりしようがジタバタしようが

歯もなければ手足も筋も筋肉も神経も贅肉さえもなく

なぁんにもなく

きみだけが死ぬ

死ぬのはきみだけ

人類というきみ

存在というきみ

時間というきみ

わたしぼくあたしおれという自意識のきみ

 

 




0 件のコメント: