本当の支配慾というものが、
物静かな形をしていることを知らなかったのである。
三島由紀夫 『豊饒の海 第4巻 天人五衰』
三島由紀夫がなぜ
じぶんから進んで腹を切り
じぶんから進んでじぶんの首を切断させたのか
いろいろに推測され続けているけれど
(なんともう55年前のことだ!)
あれはただ
じぶんのあらゆる属性へのコントロール権を
とにかく徹底させたい
という
熾烈な欲望のなせる技
だろう
と
ぼくはひとりで結論している
生老病死のすべてが
あらゆる方向から
角度から
じぶんというもののコントロール権を奪おうとしてくるのが
この世のつかの間の滞在の
基本性質で
人はなんとかこれと政治し続けて
多少のコントロール権を確保しているつもりになりながら
最終的な心身の絶対的終焉へと
進んでいかねばならない
三島由紀夫という人は
いやしくもじぶんに纏わってくるすべてについて
絶対権力を手中にし続けたかったので
いやおうなく押し寄せてくる最強の敵の
老病死という
コントロール権の剥奪王たちに対し
あらかじめ
じぶんからのコントロール権発動を以てして戦いを挑んだ
彼は死に襲いかかったのであり
肉体のコントロール権の徹底消滅ということに対し
心身のコントロール権の最前線の皮膜の部分で先制攻撃を敢行した
肉体の崩壊と廃棄そのものが至上の勝利であるような
複雑で重層的な戦略を遂げた
このことは
じぶんがまだ「生」の波にうまく波乗りできているつもりの人には
わからない
老病死の数えきれないダニに食いつかれてくる頃になって
これらの無数のダニの徹底駆除こそ
コントロール権絶対保持主義者の三島由紀夫の意図したものだった
わかってくる
世の老病死の虜たちを見よ
コントロール権を少しずつ失って行く彼ら
あるいは
すっかり失った彼らが
三島由紀夫の戦略と戦術を笑っていた頃の
「生」に波乗りできているという愚かな思い込みの行き着く先を
見よ
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