慰めはいたる場所にあった。
一木一草が慰めであった。
立原正秋 『あだし野』
テレビやSNSでは
商売ということもあるのだろうが
人生好調と見せたい人が
ずいぶん目につく
人生好調なら
それはそれでけっこうなことで
そうか
あんなふうにしていれば
人生好調でいられるわけか
と参考にもなる
いっぽう
人生絶不調という人も
テレビやSNSで
ときどき見られる
本当にそうなのか
どうか
これもネタであったり
商売であったりするのかもしれないが
貧乏で病気で
もうあきまへんがナ
という感じで
絶望を語ったりしている
ところが
そんなふうに嘆いている人でも
生きて動いているのを見ると
人生絶不調どころか
なんだか生き生きして見えるので
本人のこころや思いはともかく
身体や外見というのは
ずいぶんとありがたいものだと思う
身体の持ち主は
人生絶不調だ
もうあきまへんがナ
死にそうです
死んだろ思うてます
とか言ってても
身体はどっこい生き生きしてる
もしわたしがヤクザの親分だったら
なにぬかしてやがる
うちに引き取ったるから
そんな湿っぽいこと言わず
ちっと人でも殺してこい
なんてハッパかけてやれば
けっこう元気になって
立ち直りそうなもんだと見える
にんげん
肌にちょっとでもツヤがあったら
ぜんぜん生きてるもんだし
顔の頬骨のあたりに光があったら
まだまだいけるってもんだ
まだ
一日くらい生きられる
まだ
数時間ぐらい死なないんじゃないのか
そんな思いだけで
生き繋いでいけばいい
すくなくとも
そんな時節がおれにはあった
渋谷のスクランブル交差点の脇に座って
本当のホームレスではなかったけれど
疑似ホームレスにはなって
行き交う人びとの足だけ見ていた頃があった
まだ
一日くらい生きられる
まだ
数時間ぐらい死なないんじゃないのか
そんな思いだけで
生き繋いでいっていた
数年間が
おれには若いころ
本当にあった
0 件のコメント:
コメントを投稿