2026年9月3日木曜日

時間の流沙よ 幸福に祝福された建物でさえ



 

 

主はこう言われる。

わたしは、あなたの若いときの真心、

花嫁のときの愛、

種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。

エレミヤ書 2-2

 

 

 

 

 

リルケ(Rainer Maria Rilke)

詩の

むかし

読んだ日本語訳を

読むことは

すごく若かった頃のじぶんのこころに

会い直すこと

 

まだ

じぶんのこころを掴むのに

まったく

言葉を

持ちあわせていなかった頃の

じぶんのこころに

 

たとえば

あの有名な短詩

薔薇 おお 純粋な矛盾

(Rose, oh, reiner Widerspruch)

富士川英郎の

訳で

 

 

 薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ

 このようにおびただしい瞼の奥で なにびとの眠りでもない

 という

 

 

また

心の頂きにさらされて

(Ausgesetzt auf den Bergen des Herzens)

これも

富士川英郎の

訳で

 

 

 心の頂きにさらされて 見よ あそこになんと小さく

 言葉の最後の村落が それからもっと高いところに

 これもまたなんと小さく 感情の

 最後の農園が お前にそれが見えるか

 心の頂きにさらされて?ーー手の下の

 岩地 ここではたぶん

 二、三の花が咲く 無言の絶壁から

 一本の無意識な草花が歌いながら咲いて出る

 けれども知る者は? ああ 知りはじめ

 そしていま沈黙する者は一―心の頂きにさらされて?

 ここではたぶん すこやかな意識をもった

 多くの動物が 多くの確かな山の獣が

 徘徊し 出没する そして純粋拒否の頂きをめぐって

 大きな 憂いを知らぬ鳥が飛んでいるーーああしかし

 うち捨てられた者はーーここの心の頂きのうえに?……



ドイツ語など

まったくわからぬ

十代の

わかいわかい日本人が

これらを読んで

なぜともわからず

こころを昂ぶらせて

はじめて

リルケという名を

まだ魂というほど奥底ではなくとも

こころの

ずいぶん深いところに

刻んで

なにか大変なものに触れた

と信じ

この大変なものを

まわりの人にも知らせたいと

あわてるような気に

なって

 

そんな頃の

じぶんのこころに

会い直すこと

 

ごくわずかの

友と

(その頃は「友」と思っていた

それゆえに

それだけのゆえに

「友」であった

「友」と)

「いいね、リルケ」

「リルケは、いいね」

などと

宙に

言葉を浮かして

みていた

頃の

じぶんのこころに

 

まだ

この詩などは

それほど

切実には読んでいなかった

小さな夢のような

やわらかく愚かであった

頃の

じぶんのこころに

 


  無常 (Vergänglichkeit)


 時間の流沙よ 幸福に祝福された建物でさえ

 静かに 絶え間なく 消え去っていく

 ああ いつも吹き流れていく人生よ 早くもばらばらに聳え立っている

 もはや屋根を戴いていない円柱よ


 けれども没落 それはもっと悲しいものだろうか ほのかな光を

 降りそそぎながら 水の鏡に落ちてくる噴水の落下より?

 ああ 私たちは無常の歯の間にはさまれていよう

 その静観の表情のなかに私たちがまったく溶けこむように

 

                        (富士川英郎訳)

 

 



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