2017年7月8日土曜日

そんなことに費やしている



たった一度
であれ
訪れたことのある
場所
というもの

とりわけ
建物
室内のあらゆるところ

それらに
異様なほどに惹かれる

暇が
ありさえすれば
訪れたことのある
それら
無数の場所へと
思いは
飛んでいる

人生
と呼ばれがちな
時間の
ゼリーの
ずいぶん
やわらかな
かたまりを
そのほとんどを
じつは
そんなことに
費やして
いる



ほんとに左右され切ってしまう



父方の祖父母の家は八百屋だった

たまに訪ねていくと
おおきなトマトを切ってくれる
塩をかけてくれる
キュウリを棒状に切って
味噌をつけて
お食べと
出してくれたりする

ぼくは幼児だ

そんな野菜のほうが
甘くても
汁でべとべとするネーブルより
なんとなく楽しかった

もちろん
切りわけた真夏のスイカを
いくつも食べられるのはうれしい
もうお腹をこわすから
と止められると
いよいよ
お盆の上の残りが
うまそうに見えてくる

でも
けっきょく
残りの数切れも
食べさせてもらうことになる
だって
冷蔵庫なんか
ない時代だったのだ

大きなスイカの球を切り分けたら
はやく食べ終える
そのためには
みんなでちゃぶ台に集まって
みんなで食べる
みんなでいる必要がとにかくあった
そんな時代だった

冷蔵庫や冷凍庫が発達するような時代は
やはり
悪い時代ではないか
とぼくは思う
みんなであることを壊したのは
冷蔵庫や冷凍庫
その他
もろもろ

人は
器具や機械や環境に
ほんとに左右され切ってしまうものだから




とほうもない誤ち

 

むしろ
言わないことが表現である

そんな時も多い

言うことのほうへ
惹かれて“逝って”しまいがちになるのは
なぜ?

思いや気持ちは
そのまゝ
思いや気持ちにしておけば
いいことも多い

表現
という
とほうもない誤ち


もう見えている



なにが起こっていくか見える
もう見えている
この経路で
この条件で
進んでいくのならば

たしかに
関わる人間の性格や能力や
状況下での想定外の行動可能性は
つねに変数ではある
けれども
それらも物理的といえそうなまでの法則下にある
人間たちの精神力や忍耐力で
状況はコントロールできると見込んでいるようでは
もともと不自然な願望を成就する計画の破綻は
時間の問題でしかない

科学的な知見はすでに多量に積み上げられてきている
人文的な知も検索のしようもないほど膨大にデータ庫にある
それらを網羅できずとも
なにが起こっていくか見える
もう見えている

これが見えない人々に
群の主導権が握られてしまっているようだが
そういう群は滅びるだけのことだろう
どこの群も硫黄島でありペリリュー島でしかない
見える者は単独に孤独にそこを離れるしかない
多少の危険を冒しても
甚だしい顰蹙(生物群棲内部の誤差にすぎない雑音)を買うにしても
群を見捨てるしかない

群は個体が生きのびるための方便
この認識を見失ってはいけない



2017年7月2日日曜日

やはり偶然や奇跡によって



小説を書きたいのに
テーマもいっぱいあるのに
どうしてもうまく書き続けられない
そんな人に会って
チェーン店でコーヒーを飲んだ

知りあいの小説家を思い出した
恋愛問題を書いて
けっこう有名だったが
もうあまり読まれなくなった小説家
いまでは再版もされないので
ろくな収入もないという
飲食店のアルバイトをして食いつないでいる

小説を書き続けられない人に
あなたはたぶん
書き終える前に問題を昇華しちゃう心の構造を持っていて
それって
幸せなことなんですよ
生きていく上では
と言ってみた

小説家になったり
小説で賞を貰ったりした人を
何人か思い出してみると
みんな不幸
小説家で売っていかないと
収入だって入ってこなくなるし
ひとつ書くのだって
集中したり静かな環境に籠もったりしなくてはならないし
そのあいだは他の仕事はできないし
しかもせっかく書き上げたものが
ちゃんと売れるかなどわからないどころか
たいていは世の他の商品の中に埋没して
ろくに批評さえされないで終わっていく
そうこうするうちに
小説家になりかかった人たちや
なったものの第二作や第三作でさらに盛名を得られなかった人たち
世の流れにすっかり飲み込まれて消えていく
どこかの時点で“小説家”という肩書も手放す決意を
させられていく

小説を書き続けられない人に
がっかりさせる気持ちからではなくて
言い続けてみた
ぼくも小説が大好きで
よく読んだし
研究もしたし
論文も書いたし
自分でもそればかり書こうとし続けてきたけれど
そんなぼくでも
もうろくに小説は読まないし
誰々の新作が出たと聞いてもべつに買おうとも思わないし
どうせ読むなら
いつまでも読み込めない感じのフォークナーや
やっぱりバルザックや
うんざりだなァと思いながらプルーストや
ディックや著名なSF作家たちの新訳や
それにやっぱり鴎外はいいもんだなァっていうぐらいの
現状になっちゃいましたよ
これって
老いてきたから
っていうのとはちょっと違って
やっぱり
小説は絵空事
っていうことなんだよね
それを超える小説は
数十年やそこらの堆積や経過では
そう簡単には人類に出現しないものなんだよね
っていうこと
たぶん

言いながら
…そう
とぼくは思っていた
人類にとって事件であるような文芸作品は必ずあり
時どき出現するのは事実
けれども
形式が同じだからといって
昨日も今日もそこらの書店に並ぶようなものとはそれらは違う
人類の最後の言葉であるそれらは
偶然や奇跡によって書かれ
読む必要のある人たちにやはり偶然や奇跡によって
必ず届くものなんだ

そして
もうぼくにはたくさん届いたので
それらを繙き直すだけでも
一生も二生も三生もかかりそうな塩梅なんだ



ほんのちょっとコーヒーが



澄んだ青色
水色も
見えている空
地上は暑いのに
とも
思うが
暑いからこその
この空
かもしれない

あの青のむこうに
などと
青年たちは
いまも思うのだろうか

むこう
彼方だろうか

思いは
なぜ
むこうや
彼方に向かいがちに
なるのだろうか

澄んだ青色
水色も
見えている空

それらに
満足
できないからか
それとも
満足
しているから?

ほんのちょっと
コーヒーが
飲みたくなってきた



蘇れ、幸福教の教祖よ!


  
たとえばマーラー第6番第3楽章の叙情にふいに襲われて
東京都心の上空に
梅雨の蒸した日中の空気に包まれている

包まれているといっても
空気は動き続け
流れ続けているのに
動かないものの包まれているかのように
錯誤

とはいえ
錯誤を避けるわけにはいかない
それがこの世にあることの
本質を構成するから

(マーラー第6番といえば第1楽章にばかり
(心を奪われていた頃
(ふしぎな芳香を体から発する若い女が
(安定した関わりの中に位置を占めていたが
(ある日逢瀬の後の夜のバスの中で
(この奇妙な幸福は奇跡そのものであり稀有なことで
(これは今しか起こり得ない…と悟った
(松見坂へ差しかかって行くあたりだった…

いつ頃からすでに
幸不幸は密に練り上げられた紐とわかっていたか
買わなかった代田のマンションの
脇を歩み過ぎながらそこの一階にある凝った小さなカフェが
一度も店を開けているのを見たことがなかったのを
異様に気に掛けながら環七のむこうのヤマダ電機に電球を
何種類か買いに行こうとしていた夏のはじまり

…しかし
あゝ、どの瞬間も幸福であった!
3歳頃のわたくしに殺戮されたアゲハの真緑の幼虫たち!
あの形状を見て3歳のわたくしは本当に宇宙人だと信じた!
地球を救わなければならないと強く思って石を拾い集め
ある日中のこと石打ちの刑に処して何十匹殺戮したことだろう!
わたくしのうちに生き延び巣食っていた人類の業を
そんなことをくり返しながらわたくしは認識し続けていった!

そんな業の発露の複雑に絡みあわされた紐の一本の
世にもふしぎな芳香を体から発する若い女!

マーラー!
第6番!

あれ以降わたくしは第6番を偏愛しない人々を友から外していった
若かったのだ!
まだ若かったのだ!
マーラーを偏愛した後に「港町ブルース」やピンカラ・トリオに
(あのチョビ髭!)
惑溺する精神も多かろうというのに!

“海に涙の あゝ 愚痴ばかり…”
“あなたの影を ひきづりながら…”
  “うしろ姿も他人のそら似…”

…しかし
あゝ、どの瞬間も幸福であった!
この感覚がたとえば短歌精神と袂を分かつ理由
すべてをマイナー調に色づけてしまうニッポン詩歌基調よ!
言葉を弄ぶなら錯乱!、快楽!、転調!、認識!、…に向かわなくて
どうするというのか!いつまでたっても引かれ者の小唄のような、
時代が悪い、権力者が悪い、民衆の愚かさが悪い、知識人の
超越と民衆無視が悪い、小難しくばかりなった諸芸術が悪い、…
などと言い続けるばかりのレンジの狭いニッポン詩歌基調に巣食う
怠け者の不勉強なたゞの酒飲みたち!あるいは小心な
臆病者たち!

ギーレン指揮のマーラー第6番を二度聴いて終える
第7番にそのまま移行することは少ないが今日は晴れがましい湿気
移行しよう聴き続けようブーレーズ指揮の
第7番に移る
これはクリーブランド管弦楽団のもの
梅雨のぶ厚い湿り気の昼下がりにはよさそうな演奏
ふしぎな芳香を体から発する若い女がいた頃にはなかなか
第7番には心が移り切れずに第6番に留まり続けていた!
それが今では軽々と移る!
軽々と戻りもする!
すべてが等価になっていくから!

あゝ、どの瞬間も幸福であった!

蘇れ、幸福教の教祖よ!