2024年5月30日木曜日

終わるわけがない

 

 

 

Comment s’étaient-ils rencontrés ?

Par hasard, comme tout le monde.

Comment s’appelaient-ils ?

Que vous importe ?

D’où venaient-ils ?

Du lieu le plus prochain.

Où allaient-ils ?

Est-ce que l’on sait où l’on va ?

 

Denis Diderot

 《Jacques Le Fataliste Et Son Maitre

 

 

 

 

フランスに

あんなにたくさん行っていたのに

いつから

行かなくなったんだったっけ?

円安で海外に行きづらくなったのなど

なんのその

というぐらいに

飛行機に乗ってどこかへ行く気がすっかり失せてしまったのは

いつからだっけ?

 

明解な答えを

ちゃんと持っていることに

ふと気づき

驚いてしまうとともに

じんわりと

懐かしさに浸った

 

21世紀に入ったはじめの頃

いつもの夏のように

エレーヌとぼくはフランスに経ち

曖昧にしか目的を定めない

2ヶ月ほどの滞在をした

旅程のなかには

エレーヌの故郷のロゼール県訪問も入る

ロゼール県の町サンシェリー・ダプシェには

エレーヌの妹の家族がいて

その家に何日か滞在してくる

フランスのチベットとさえ呼ばれる高地のそこは

ぼくにはいろいろと面白く

ただのらくらと歩きまわるだけでも

飽きることはなかったが

エレーヌは嫌った

故郷を彼女ほど嫌う人間はいなかった

それにくわえて

妹やその家族といっしょにいるのを

エレーヌは嫌った

彼女の興味を占めているのは

神秘主義やオカルトのさまざまだけと

くわえて

それらの考察に表象機能を提供しうるような

若干の文芸や芸術ぐらいのもので

そういった一切にこれっぽっちの関心も持たない血縁を

ほんとうに嫌った

しかしエレーヌはそういったことを

けっして彼らには悟らせないようにしていたので

彼女の本音を知っているのは

ぼくひとりだった

 

この時の旅でも

着いたその日の夕方には

「もう耐えられない。あした出発します!」

とぼくに言うので

「今日来たばかりでそれはないよ。

明後日ぐらいまでは居て

それから地中海のほうへ下ろうよ」

とぼくは答えた

 

エレーヌがサンシェリー・ダプシェに行ったのは

ほんとうに

これが最後だった

2010年に死んだ後で

骨になってその町の墓地に戻っていくことになったが

あれほど故郷を嫌った彼女が

いくら墓地だからといって

あそこに安らかに眠ったりするわけはない

 

ともあれ

これがエレーヌのフランス帰りの最後の夏で

エレーヌとぼくのフランスめぐりの最後の夏となった

エレーヌはその後死ぬまでの8年ほどを

二度とフランスに戻らなかったし

二度と日本の外に出ることはなかった

 

話はこれで終わらない

 

その最後のフランス行きから帰った後で

フランスのあまりのつまらなさに

エレーヌもぼくも辟易してしまった

「ねえ、フランスって、もうつまらなくない?」

「そう、もう要らない世界って感じました」

こんなことを言うほどに

ふたりともうんざりし切ってしまったのだった

 

そうして

気持ちを取りなおすために

秋のはじめ

奈良や明日香にふいに旅だったのだったが

これが大成功だった

これまでフランスの旅に求めてきていたものが

明日香やその周辺にこそあったのだ

 

秋に入って黄金色になった稲穂の揺れるなかを

岡寺へと歩いて行ったことや

秋とは言え残暑がすさまじく激しくて

その頃ぼくがいつも着るようにしていた黒いTシャツでは

汗が出たり乾いたりをくりかえして白くなってしまうので

奈良の町のスーパーマーケットで安売りしていた

白いTシャツを買って

さっそく着替えたりしたが

思い返せば

ぼくが黒いTシャツを着なくなったのは

その時からだった

Tシャツは黒でワイシャツはブルーと決めていたのを

Tシャツは白でワイシャツも白に替えることにしたのも

この時から始まっている

 

土地や地域についてのエレーヌの関心は

この時から日本国内だけになった

もうフランスはわたしには終わりました

と言ってさえいた

 

話はまだ終わらない

 

エレーヌの死後

ぼくは何度もパリに行った

とはいえ

なにもすることはないし

ほしい本はもう何万冊も買ってしまっているし

とにかく残りの人生はそれらを読むことで埋まっていくし

もうパリには目的とするものもないので

行ったとしても

ふらふらとセーヌ河畔を行き来してみたり

ちょっと治安の悪い地区に踏み入って

小ぎれいになどしていない地元のパン屋に入って

日本人が抱くパリジェンヌのイメージにはぜんぜん嵌まらない

髪の毛のハゲかかった眼鏡のオバサンから

安いけれどけっこううまいクロワッサンや

ブリオッシュやバゲットを買って

歩きながら食べたり

パン以外のものも欲しいかなと思うと

ビミョーに衛生的に問題ありそうでもあるどこかの惣菜屋で

プラスチック容器に入った

クスクスとかタブレの安いのを買って

公園のベンチか橋の石枠などに座って

ゆっくり食べたりする

コーヒーもあってもいいが

2ℓのミネラルウォーターを持って歩いているので

外をほっつき歩きながらのランチなどは

水でじゅうぶん

どうせ夜はどこかのレストランに入って

デザートで分厚いタルトを食べながら

濃いコーヒーを飲むに決まっているのだし

 

でも

たったひとりで

タブレとパンを交互に食べながら

ぼくは思い出したものだ

1980年代から90年代の頃

日本円がやけに高くなって

フランスに旅人としてやって来ると

コーヒーなんか一杯80円ぐらいの勘定になったので

あちこちのカフェにちょっと座っては

ひといき入れながら

水のようにいっぱい飲んだものだった

エレーヌはきまって

いつも持っている煙草のゴロワーズを吸い

両切り煙草なものだから

唇に刻んだ煙草の葉がくっつくので

それを指で抓んで取ったり

ときどきはプフィっと吹いて飛ばしたりした

 

ぼくもエレーヌにならって

ゴロワーズばかり吸うようになり

あの納豆のような

独特の味をひとしきり味わった

 

そうして

また

ふたりして立ち上がり

歩き出したものだ

 

ぼくらふたりのしているのは

いつも

期間を区切っての放浪の旅みたいなものだったから

どこへ行くかわからないが

どこへでも行くつもりで

歩き出したものだった

 

そうして

そうして

ああ!

いつも

ディドロの『運命論者ジャックとその主人』の冒頭を

思い出したものだ

 

「彼らがどんなふうに出会ったかって?

偶然からさ、誰だってそうだろう?

彼らがどんな名だったかって?

それが重要かい?

彼らはどこから来たかって?

いちばん近いところからさ。

彼らはどこへ行くかって?

ひとがどこへ行くかなんて、わかるもんかよ。」

 

いまでも

この冒頭を思い出し続けるものだから

話はまだまだ終わらない

 

終わるわけがない

 





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