2024年6月21日金曜日

候補者たちには共通試験を課して

 

 


  

(…)特権身分は現に別個の人民ではなく、また別個の人民たりえない。特権身分は、真の国民の犠牲なくしては存在せず、また存在することもできない。いったいいかなる国民が、そのような負担に進んで同意するであろうか。

正義と理性からすれば、そのような都合のよい主張を認めるわけにはいかない。特権階層が社会秩序の中で結局どのような位置を占めるべきかなどと問うてはならない。それは病人の肉体を蝕み苦しめる悪性の体液を、体内のどの部分に割り振りたいかと、訊くのと同じだ。悪性の体液を中和し、全器官の健全な機能を回復して、生命の最も大切な源を害する病原が、もはや形成されないようにせねばならない。それなのに、「あなたがたはまだ健康には耐えられない」と言う者がある。すると、この貴族的叡知に満ちた警句を、これも宿命だと諦める東洋人のように、あなたがたは聴く。それなら病気のままでいるがよい!

シィエス『第三身分とは何か』*

 

 

 

 

 

選挙は廃止すべきだと思っているので

もちろん

今回も選挙には行かない

 

民主主義の基本?

 

なにを馬鹿なことを

 

(そもそも

どうして「民」を主にすべきなのか?

また

「民」が愚民に過ぎないような場合

そうした烏合の衆をどうして「主」として立てるべきなのか?

こうした論は

とりあえず今は措くが……)

 

候補者をあらゆる角度から細かく査定し

能力や人間性や政策実行可能性などを完全に見定めてから選ぶのな

まだ選挙には意味もある

しかし

短い選挙期間中だけ

小学校の運動会でのマイクでの応援文句のような

粗い

昔から代わり映えしない無意味に等しい紋切り型表現を叫ばせ

それを聞かされてうんざりさせられることで

候補者の能力や人間性や政策実行可能性などをわかったふりをするのは

愚かというのを越えて

人間の集団面に対する冷笑や嘲笑やニヒリズムの極地だろう

疑いなく集団的精神疾患のひとつの症例といえる

 

とにかく

選挙を廃止し

候補者たちには共通試験を課して

それに合格した者を選ぶようにすればよい

 

まずは

政治や行政の基本からかなり高度な知識レベルまでの試験を課し

人文学から諸科学までの大学入試レベルの問題を課し

もちろん国際情勢や国際政治や世界地理や世界史などばかりか

日本史や日本地理や民俗学や日本古典などにもわたる

精妙かつ弾力に富む知識と理解力は

とりわけ重視されて試験されなければならない

稗田阿礼なみに『古事記』は暗誦できていなければならないし

『日本書紀』も暗誦しておかねばならないだろう

政治の実践者には並外れた体力や瞬発力や判断力が要ることから

運動機能試験やゲームを使った瞬発力試験

高度な判断力の試される頭脳酷使型トライアスロン試験なども

課すべきだろう

このあたりまでが

まずは第一次試験

 

第二次試験は

具体的現実的な行政問題や政治問題にどう対処するかを

明瞭な思考と文章で答えさせる論文審査

文字数は最低五万語以上のものとし

新書一冊程度以上の分量を書かせることにする

この論文審査には選挙民が審査員として参加するようにし

この時点で候補者以外の共同体成員が知性的に関与することになる

 

いわゆる心のありかたの問題

優しさだとか

思いやりだとか

寛容さだとか

融通が利くとか利かないとか

そうした点を査定する必要はない

それらはいくらでも装えるし

サイコパスならば容易に試験官を欺くことができる

そもそも

熾烈な第一次試験や第二次試験に挑んで

通過する努力を続ける時点で

心の不適格者はおのずと排除されるだろう

透明な心の持ち主でなければそれらを通過することはできないし

透明な心が社会的な悪へ傾斜する可能性はきわめて少ない

むしろ

いかようにも汚れたり

腐敗したりしやすい

優しさだとか

思いやりだとか

寛容さだとか

融通が利くとか利かないとか

などが極小であるほうが

政治家にはふさわしい

 

最後に重要なのは

こうした試験の末に選抜された為政者は

完全に無給で共同体に奉仕する

と決められている必要がある

生活や活動に必要な経費は公費から支給されることにするので

経済的に困難が生じるわけではない

ただ共同体への完全な奉仕者とさせるために

個人生活を滅却させ

個人財産を放棄させなければならない

為政者は共同体の顔であり

権化としてのみ生きて活動しなければならない

 

ポスターを板に貼って

よりよい未来とか

活力ある都市にとか

世界一の首都にとか

生活や安全の防衛とか

若い人の可能性うんぬんとか

安心できる老後とか

介護の充実とか

あまりに曖昧でまともな人間なら恥ずかしくて口にできない言辞の

あっけらかんとしたおしゃべりごっこによって

ちょっとでも投票数の多かったもん勝ちで決まっていくような

ウルトラ低レベルの選挙ごっこを

いったいいつまで遊び続けるというのだろうか

 

 


 

*シィエス『第三身分とは何か』(稲本洋之助・伊藤洋一・川出良枝・松本英美訳、岩波文庫、2011p.p.160-161

 

 






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