2024年6月25日火曜日

立待月のながめ

 


 

満月の時は曇って

月は見えなかったし

その次の十六夜の月も

やはり見えなかった

 

今夜

立待月は

夜も遅くなってきた頃に

煌々と輝いてみえる

 

とても澄んだ光なので

手すりに凭れて

しばらく見惚れてしまう

 

月の上を

薄雲が流れていき

ときおり朧月となるのも美しく

ゆっくりと動き続ける絵画が展開されている

こんな光景に恵まれ

しあわせな夜となった

 

ひとはこの世の真実を見ようとして

まわりを見まわし続け

他人がこしらえた言語メディアや

写真や映像メデイアを渉猟し続けるが

鮮明な光を降ろしてくる時の月ほど

この世の真実そのものを

感じさせてくれるものはない

 

照りつけてくる昼間の太陽も

その下の木々や草葉や

石や硝子やさまざまな建材なども

どれもこの世の真実の

その時々のさまなのだが

おそらく情報量が過剰すぎて

意識のほうは真実としての受け止めに

かなり戸惑ってしまうらしい

さまざまなものが見えにくくなる

月あかりの夜ほど絞られた状態のほうが

この世の真実とは

本来どういうものだったか

わかりやすくなるのかもしれない

 

澄んだくっきりした光を投じてくる月を

この世の真実と受けとるなどとは

なんという曖昧模糊とした幻想趣味か

と一笑に付されそうだが

月の光というのは

見えるそのままを受けとって

月のまわりに染みひろがる様子や

表面を流れていく雲のさまざまなどをも

つぶさに見あわせていくべきで

そうした態度こそが

こういう場合の月に対する

もっともふさわしいものでもあるし

このようにある時

光景を見る側や受けとる側にも

無用の迷いや揺るぎが生じづらい

 

この世の真実に対しては

受け取る側のこうした迷いのなさや

揺るぎのなさも

欠くことのできない顕現の条件となる

 

ひとはこれやそれが真実だと言い

さらにはあれが真実だと言い続けて

それらを伝えたり表現しようとして

海に寄せる波が立てる泡のひとつひとつのような

無限の表象をこしらえ続ける

割れて砕け散った鏡のこまかな破片も

ひとつひとつ月光を映すように

たしかに人工の表象には真実が散っているのだろう

しかしそれらは小さすぎるし

歪んでしまっているし

見づらいことこの上ないので

なんの機材も要らず

特別な技巧も要らない

古来の風流人のだれもがやってきたやり方で

じかに空を見上げて月を視覚にとらえ

黙って見つめ続けているに如くはないだろう

 

月がきれいに見え

月光を眺めるのがひたすら楽しい夜に

黙ってただ月を眺め

眺め続ける時間を心身に受けて

小賢しい科学論に思念を巻き込ませず

詩歌のひとひねりもしようとせず

いつまでも月に向かって時間そのものとなるひとだけに

この世の真実は開示され染み入ってくるだろう

そういうひとは真実をしゃべりもせず

伝達も表現もしようとせず

真実の顕現の瞬間の側に

すこしでも寄り続けようとするだろう

 

この世の真実は

言語や思念や表象などの網でのみ掬いうる

粗い繊維で織られた人界の認識界に広がっていくことはない

しかしそれでよいのであり

真実の側はすこしも損われたり毀損されることはない

人界の粗い認識網から抜け出さない意識が捉えきれなくても

まったく損われることなく

毀損されず

つねに同じようにあり続けるのが

真実だからである

 

そしてこの世の真実は

つねに

同時に

この世以外の真実でもある

真実には地方性はなく

領域性もない

 





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