2025年3月3日月曜日

平和ではなく剣を投げ込みに来た


 

 

トランプとゼレンスキーの会談は

慣例と異なって

いくらか激した口調が聞かれて面白かったが

40分以上の動画を見てみると

大げさに報じて儲けようとするマスコミが伝えたり

さらに大げさに喧伝するX界やYouTube界が騒ぐほど

口論でもなければ激論でもなく

物わかれというほどでもなかった

 

もともとプロレスに関わってきたトランプが

助六のセリフなみに

プロレスのマイクパフォーマンスふうの連ねを行うのは常のことだ

それを受けて

ペニスでピアノを弾く下ネタ芸を十八番にしていた芸人ゼレンスキーが

なにかとバズるような芸で返すのも当然なので

なにが起ころうと驚くほどのこともなく

なぁんだ、ソファーをぶん投げあうぐらいのことはやれよ!

などと思って見ていたが

そこまではいかず

冬の湿った線香花火程度のパチパチで終わった

 

このふたりと

そこに副大統領ヴァンスと国務長官ルビオが加わっての

ふだんよりちょっとお社交を越えた

「朝まで生テレビ」ふうのおしゃべりが

そもそもプロレスに過ぎなかったことは

ゼレンスキーがその後に会ったイギリスのスターマー首相が

すぐに

ロシアとウクライナの停戦案を

イギリスとフランスとウクライナの3国でまとめて

アメリカに提示する方針を出したのでもわかる

もともと式次第がいろいろとできていて

トランプとゼレンスキーとの間では

ちょっと場外乱闘的な波乱を演出しておこうというだけのことで

世界中にテレビやSNSで放映されるような映像に

いまさらこれっぽっちの真実があるなどと思い込むほうが

情弱というか馬鹿というか

あるいはありがたいカスタマーさまとでも言うべきか

である

 

それにしても

あんな程度で口論だの激論だのと評するナヨナヨ連中って

いったい何なのか?と思う

わたしが十五年間を費やした超戦闘的な労働組合では

団体交渉のたびに「バカ」という言葉だけを使わない配慮をしつつの

大がかりな怒鳴り合いが続いた

メンバーの中での役割分担があって

誰かが頭ごなしに相手方を怒鳴りつけて感情を荒立たせたり

他の誰かは穏やかな口調で取りなすように割って入り

相手方を籠絡していったり

またさらに他のメンバーは論理性重視で

つねにバランスを取りつつ正面から攻め続けたりする

3時間から5時間は言い合いが続くのが当たり前で

それが15年ほども続いていくと

なんだか社会的ないっぱしの闘士になったような気になるのだが

もちろんそんなのも幻想で

結局は本当に相手を殺したり脅したりできないと

社会では勝てない

 

わたしの大嫌いなゼレンスキーが

珍しく公然といたぶられたのは楽しい見物だったが

正面からゼレンスキー潰し役を買って出てくれたヴァンスが

ゼレンスキーの語ったフェイク情報をしっかり潰さなかったのは残念だし

ヴァンスやトランプが用いた理屈も切れ味弱く

しかも偏向していて残念だった

というよりあの場でトランプがゼレンスキーを射殺してもよかった

そうしたとしても

今のウクライナやヨーロッパは

アメリカに対してなんの抵抗もできない体たらくなので

やっちまえばよかったのに

と思いながら

いつも悪党を生きのびさせて奇妙な演出効果を狙う

鶴屋南北先生のやり口を思い出すように

次の劇の展開を待たされる運びとは相成り候

 

まあ

ナポレオンならあそこでゼレンスキーを殺したね

そうしなかったのは

トランプが軍人のセンスを持っていなかったからだろうが

今後の世界展開は

かならずナポレオンを呼び込むだろう

既得権益者だけが永遠に儲かり続けるような継続的な平和なるもの

断じて来てはならないのだし

来るわけもない

 

平和と正義はつねに

既得権益者たちの騙し文句に過ぎない

 

全世界が

ウクライナとガザになるよう

希求しようではないか!

 

おお

イエスさま!

 

地上に平和をもたらすために私が来た、 と思ってはならない。

平和ではなく、剣を投げ込みに来たのだ。

人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに敵対させるために、

私は来た。

自分の家族の者たちが敵となるのだ。

私よりも父や母を愛する者は私にふさわしくない。

私よりも息子や娘を愛する者も私にふさわしくない。

自分の十字架を担って私に従わない者は私にふさわしくない。 

自分の命を得ようとする者はそれを失い

私のために命を失う者はそれを得るのである。

「マタイによる福音書」 10:34-39

 

 




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