長州藩家老として
幕末の長州藩改革に努めた村田清風は
吉田松陰の師でもあったが
江戸に出た際には
塙保己一や海保青陵に学び
経世論から
兵法や
海防策まで身につけたという
長州から江戸に出る時に
もちろん富士山を見たのだろう
こんな歌を残している
来て見ればさほどでもなし富士の山
釈迦や孔子もかくやありなん
これは
孔子の弟子の顔淵が
「舜何人ぞや、予何人ぞや」
と発したのに通じる
中国の五帝のひとりの舜も
じぶんも
同じ人間ではないか
というもので
強い志さえあれば
じぶんも舜のようになれる
として
自らを発憤させた言葉となっている
村田清風は
先見の明があった人で
黒船も来ないうちから
軍備を整えようとしたという
藩政改革を済まし
隠居しても
なおも文武の稽古に勤しんだ
久坂玄瑞の友の赤川淡水が
訪ねてきた時
赤川が地理を研究したいというので
「磁石を持っているか」
と村田は聞いた
持っていないと赤川が言うので
「馬鹿な奴だ」
と村田は叱った
「地理を研究するのに
磁石を持って歩かぬような人間に
地理の研究が出来るか。
攘夷攘夷と云うが
米の相場が何んぼするか知って居るか
そんなことで
攘夷も何も出来るものか」
村田清風なら
釈迦や孔子に対しても
「米の相場が何んぼするか知って居るか」
と叱ったかもしれない
0 件のコメント:
コメントを投稿