2026年4月5日日曜日

ヒマーラヤ


 

仏教の唯識派と中観派は

ホトケを信じるというような

甘い盲信への傾斜と異なり

厳格な知的分析の要求される哲学で

ここをたっぷりと学ばなければ

仏教の核心に触れたとはいえない

 

というより

仏教は信仰行為ではなく

どこまでも分析と再総合の知的な哲学であって

哲学行為を行いながら

心身と霊とそれらの超越場との統合を試みつつ

さらには

いわゆる聖と俗との領域や

清と汚濁や

善と悪

物質と非物質の完全な同一視を実現する霊的ヨーガ実践であって

手をあわせて念仏を唱えれば済む

というようなものでは

まったくない

 

心理学であるとともに

深層心理学でもあれば精神分析学でもある唯識は

ひとりのヒトが

なぜ

物質と偏った不自由な習俗の世界に生まれ落ちるのか

そのカルマや因縁や縁起をも含み込んだ

宇宙構造心理学となっている

 

アーラヤ識という概念にすっかり馴染むと

そういえば

「アーラヤ識」を意味する「ālaya-vijñāna」や「आलयविज्ञान

「アーラヤ(ālaya)」に

雪や氷を意味するサンスクリット語の「hima」が付くと

himālaya」となって

ヒマラヤ山脈のことになるのだと

ちょっと

よけいかもしれない話も

視野に入ってくる

 

ヒマーラヤの話などが

よけいなことだというのは

とにかくも

たえず

次のような考察に立ち返り続けないと

いけないからだ

 

もろもろのものはどのようなものでも

どこにあっても

いつでも

みずからも

他からも

自他のふたつからも

さらに無因からも

生じたものとして認められない

 

龍樹(Nāgārjuna)

『中論(Mūlamadhyamaka-kārikā)』 第一章第一偈

 

 


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