2026年5月9日土曜日

せっかく同じ場所で互いに見つめあったというのに


 

 

 

ドルジェル伯爵夫人の場合のような心の動き方は

時代遅れになってしまったのだろうか?

レイモン・ラディゲ 『ドルジェル伯爵の舞踏会』

 

Les mouvements d’un coeur

comme celui de la comtesse d’Orgel

sont-ils surannés ?

Raymond Radiguet  

  « Le Bal du comte d’Orgel »

 

 

 


 

あれは

ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の

どのあたりだっただろう?

 

ジャン・クリストフが列車に乗っていて

どこかの駅で停車したかした際に

となり合わせた列車にひとり女性が乗っていて

その人とのまなざしが合ったかどうかして

異様なほど惹きつけられた

一瞬に恋に落ちた

といったような描写があった

 

列車どうし別の方向へ走り出すわけで

しかも窓を開ける暇もなく

なにか告げたくても時間もなく

かりに窓ぎわで手を振って注意を引こうとしても

おかしく思われてしまうだけだろう

 

しかし相手はこの世で唯一

もっとも自分に大切な人であるように感じられ

最大の理解者どうしであるように思われ

精神的も同じ世界から来たかのように感じられる

 

双方の列車は逆方向に走り出し

名も住まいも連絡先も交換できぬままに

そのわずかの時間のあいだ

せっかく同じ場所で互いに見つめあったというのに

ふたりはまた永遠に分れていってしまう

 

ロマン・ロランはここまでは書き込んでおらず

なにしろ読んだのが12歳から16歳ぐらいの間のことゆえ

状況設定もすこし異なっていたかもしれないが

いまでも鮮烈な印象として残っている

『ジャン・クリストフ』のたいていの部分の記憶は

すっかり忘却のかなたに薄れていってしまっているが

となり合わせた列車の窓からすぐそこに見える

今生ではついに真に出会うことのできないもっとも重要な存在

というイメージは

青年読者には強烈なロマンティシズムを抱かせた

ロマン・ロランも『ジャン・クリストフ』も

この一点だけでも心の灯となった

 

かつては多くの青少年の愛読書とされたはずの

ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』も

1970年代には凋落傾向を見せ

主人公をあらかじめ才能豊かな人物として設定するという

ロマン・ロランの手法を批判したマルセル・プルーストの

翻訳や紹介や研究が世界的に広がりを見せるなか

1980年代にはすでに忌むべき愚作として

新しい見方好きの知識人気取りたちからは

『ジャン・クリストフ』は軽蔑や批判の対象となっていた

 

一般人を貴族主義的精神で見下す著作として

ロマン・ロランはずいぶん攻撃されたように思えるが

サン=テグジュペリなどもそうした精神の持ち主として

ずいぶんと避けられ低められたように見える

フォークナーや中上健次やカフカやラテンアメリカ文学が

さらにはケルアックやバロウズやブコウスキーなどが

激しい山火事のようにフィクション好きたちの脳を燃やした頃の

今から思い返せば古風でもある懐かしい偏見の時代であった

 

洋書売り場のフランス語書籍の棚などを見れば

サン=テグジュペリは復活してきているように見えるが

ロマン・ロランのポッシュ版やフォリオ版は売れ行きが悪いのか入手しづら

自分のことを見出されぬ天才と思い込みたがる

ふつうの青少年ならマルセルよりジャン・クリストフの心情のほうが

今昔を問わずきっと身近に感じられるだろうに

ジャン・クリストフはランスロットやパルジファルやトリスタンのように

しばらくは忘却の河を泳ぎ続ける運命であるらしい

 





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